ハイライト 1

交差点の信号が赤から青に切り替わるのを待っていた。卯月らしい暖かな陽気は心地よい。久し振りに愛車であるアンカーの赤いロードバイクではなく、自分の足を使って駅まで行こうと決めたのもそのためだった。時より吹き抜ける風に春を感じる。
別に春になったからと言って僕個人という小さな枠組みで言えば、何かが起きる訳ではないし、劇的に何かが変わることなどはない。しかし大きな枠組みで言えば、新しい人間の入れ替わりが起きて、少しばかりの変化を及ぼすことは理解している。サイドブレーキをし忘れてゆっくり坂を下っていく車のような小さな変化くらいはあるかもしれない。
人の入れ替わりもその一つ。ただ毎年のように見ていると恒例行事へと変換されてしまい、どこか普遍的だった。それでも少しばかりの変化がやってくることは嬉しく思う。健全な反応だ。そんなことを分かっているからこそ、惰性的な感覚に陥ることも想像に容易だった。
駅までの道のりで最後にぶつかる大きな交差点は、老若男女問わず多くの人で賑わっている。これからの変わりゆく何かにワクワクしているように見えた。この国の人間らしい、と心の中で呟き、そっと消化する。この交差点が青になれば、弾かれたように一斉に動き出す。その前触れを切り取るように写真に残そうと胸の辺りに向けて手を動かしたが期待した手応えはなかった。
最近新調したばかりの一眼レフのカメラを首から下げていないことに気が付いて、残念な気持ちを抱いてしまう。カバンの中にしまってあるカメラを取り出すか、数秒迷い、結局のところ取り出さなかった。
同じ場所、同じ時間、同じ人が、自分たちの世界を過ごしながら信号待ちをすることは二度とない。ある意味、奇跡と表現できる。カメラの代わりに脳内で今見ている景色を刻むことに全精力をつぎ込もうとするあたり、写真は僕の一部であることを再確認する。
信号が青になった。一斉に駅に向かって歩き出す人波の一部として僕も動き出し、横断歩道を渡る。耳に突っ込んだイヤフォンからは、最近トレンドになっているバンドの冬に聴くべき切ないラブソングが流れ始めた。今の季節と状況には不相応な曲だった。ミュージックプレーヤーの設定を全曲ランダムにしているが、数百曲の中でも聞きたいと思う曲は確かにあった。それが流れないことに憤りを抱くのは、横柄な態度だろうか。
歩きながら、ジャケットのポケットに右手を入れ、次の曲へとスキップした。僕の意図を読み取ったのか、新しい場所に踏み込んだ時に聴いていた懐かしいアップテンポの曲が流れ始めた。
目に映る全ての物が新鮮で、きらめいていた、綺麗な記憶が静かに蘇る。
大学入学に合わせて購入した礼服を着ていたとしても、あの時に門をくぐった時の感情を抱くことは無い。悲しい気持ちが顔を出したが、それ以上に十八だった時よりも今の環境に慣れていることを思い知る。
あの春も、この春も二度と戻ってこない。そんな当たり前の事実は、考えていた以上に破壊力を持っていた。だからか、少し不安になってしまう。
これから待っている現実に耐えられるか分からない、といった目の前の不安や生きているうちに積み上げてきた。それこそ様々な種類の不安で染まり始めた僕は賑わいを見せる駅へと繋がる道を進み、改札を目指した。その足取りは重たかった。
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