忘れられない【ショート・ショート85】
「雫ちゃん、忘れられない恋ってある?」 送迎帰りの車内で先輩に唐突な質問を投げかけられて、私は返事に困った。何を言っているのだろう、いきなり。本音を隠すように笑みを作って誤魔化そうと試みた。でもうまくいかない。さっきまで...
「雫ちゃん、忘れられない恋ってある?」 送迎帰りの車内で先輩に唐突な質問を投げかけられて、私は返事に困った。何を言っているのだろう、いきなり。本音を隠すように笑みを作って誤魔化そうと試みた。でもうまくいかない。さっきまで...
「ゴメン、待ったよね」 駅の騒がしさに紛れて消えていく謝罪の言葉。でも待ち人は、心配そうな表情から安堵感に変わっていく。その表情の変化を見ていると、申し訳なさが普段よりも重くなっていくのを感じる。「仕事でしょ? 美加がや...
「悪い、待たせたな」 顔を赤らめた寿也は開口一番、僕に詫びるように手刀を作りながら言う。その姿は、学生代によく見た姿だった。 「気にすることじゃない」 周囲を見渡せば、着飾った服装をした老若男女で溢れている。クローク...
星が遠い。 情けないほど陳腐な感想を抱く自分に嫌気が差すけれど、久し振りに見上げた空が遠く感じたのは、まぎれもない事実であり、東京で生活しているのだと自覚的になった。色々なことに溢れ、下を向くことばかり日常が般化してい...
有線放送から流れる聞き覚えのあるナンバーで、我に返った。机に置いたスマホを手に取り、時刻を確認する。深夜十二時半。サヤカが部屋を出てから十分も経っていなかった。座り心地の良い自分には分不相応なソファーに腰かけながら、ぼ...
聡との関係が本当の意味で始まったのは、トーテムポールの腰巾着こと藤村教諭の下手くそな朗読を聞いていた五限目のことだ。退屈のあまり居眠りを試みるも身体にまとわりつく蒸し暑さのせいで、なかなか眠ることができなかった。 午前...
2020年もあと僅か。 世間が東京オリンピックに染まって、街を歩けば例年以上に外国人とすれ違う。メダルの数に一喜一憂して、スターが生まれるはずの一年だった。でも気付けば、全世界が別の、得体のしれないウィルスと戦う羽目に...
子供からの脱皮、そして大人への変態が求められる次なる空間の記憶はやけに鮮明に覚えている。身体の各所に変化が現れ、心が揺れ始める思春期の始まりに足を踏み込みながら、漠然とした形無き社会という化け物に取り込まれる準備及び、...
キッチンから聞こえる『Bitter Sweet Samba』のメロディが、夢の世界から現実の朝へと戻した。楓はもう起きているようだ。ベッドの上で眠気眼を擦りながら、今朝の出来事を思い出す。楓に甘えてしまったことに恥ずか...
「ねぇ、今度京都行こうよ」 夕食で使った食器をキッチンに持っていくタイミングで楓は呟くように言った。今日は僕が当番なのにと思ったけど、そのことには触れずに「いいね、京都」と答えるボクはきっと幸せ者だ。「本当に? じゃあ、...