シーラカンス【ショート・ショート67】

「携帯ラジオ持ってる人、初めて見ました」
 無邪気に言う大学時代の後輩は、一目で結婚式帰りだと分かる格好をしていた。夜も浅い電車内には程よく遊び疲れたカップルや補導の時間とのせめぎ合いをする中高生の姿が目立っている。日曜日ということもあって、スーツ姿は少ない。幹生のように礼服であれどスーツを着ているのは少数派だった。
 同じようにドレス姿も少ない。結婚式会場からほど遠い都会に向かっているからだろうか。彼女の姿を見ながら、また新しいドレスを買ったんだなと思った。共通の友人の結婚式で顔を合わせる度に思うけれど、男と違って女性のドレスは毎回違う。被らないように、同じ服を着回してるのがバレないようにと苦労している話を思い出した。そんな話をしていたのは、確か彼女だった。
「幹生さんって、時間というか時代に合わせることをしないですよね。大学時代も連絡するには県人寮の電話でしたし、掛かってくるのも公衆電話でしたし」
 笑いながら話をする彼女を見つめながら、どうして毎回、一緒の電車に乗って帰っているのだろうかと疑問に思った。同じ方向の街に住んでいる。ただそれだけのことなのに、なんだか運命なんて陳腐なことを抱いてしまう自分の抜けない青臭さは、タバコの匂いのように身体に染みついている。
「時代のスピードに合わないだけだよ」
 幹生は抑揚のない、味気ない返事を口にする。スマホ、タブレット、もっと昔は携帯電話にMP3と持っていないことに対して、外野からとやかく何かを言われる人生だった。持っていなくても困った経験なんてのは、あまりない。さすがに就職試験の面接会場で、メールアドレスもなく、実家の電話番号と県人寮の番号だけを記述した履歴書を見ていた面接官に苦笑されたことはあったけれど。記憶上、それくらいだった。飲み会や遊びの予定は前もって決まっていたし、予定が変更になった時も県人寮の電話が鳴った。待ちぼうけの経験も何度か経験したけれど、それも今となっては良い思い出だし、ある側面で言ってしまえば、子供の頃から変わらない日常だった。
「幹生さんのおかげで、私たちのグループは時間前集合と急な変更が少なかった気がします。あの頃は携帯くらい持っててよって思いましたけど、今ではその経験が活きてるんですよ、意外と」
 かつての幹生のことを軽く皮肉っている無邪気な笑顔に返す言葉は見つからなくて、黙って頷いた。きっと幹生の知らないところで、知らないドラマがあったのだろうなと推測する。グループの面倒な足かせだったのかもしれないけれど、今でも繋がっていることはデメリットよりもメリットの方が大きいということなのだろう。その事実は嬉しくもあった。
「今では携帯電話は持ってるよ」
 車内の合うアナウンスとすぐにやってきたブレーキ音でかき消された声は、彼女には届かなかった。
「幹生さんって、今でもアナログ派の人間ですよね。私は利便性を優先するようにしていますから、幹生さんの取捨選択が分からない子との方が多かったです。でも最近、絶滅危惧種を保護する人の気持ちが分かるようになってきましたよ。もうここまできたら、最後の一人になるまで抵抗して欲しいって」
 そう言った彼女は小さいカバンからスマホを取り出して、何かの操作を始めた。少しの間、彼女の動きを見ていた。どうやら誰かからの連絡に対して返信を書いているのだろう。幹生にはできない指の動きは忙しない。当分、会話がないと判断して、胸ポケットに忍ばせた詩集を取り出す。カバーもなく、手垢で汚れた文庫本タイプの詩集は、こういう時に重宝する。小説だと途中でページを閉じることに抵抗があるし、かといってイヤフォンを耳に入れるのは、誰かと一緒に居る時間には相応しくない。漫画でも読んでいれば良いかも知れないけれど、それはそれで違う気がしていた。
 ページを捲りながら、周囲の状況を確認する。乗客の多くは、スマホとにらめっこしており、同じくらいの人がイヤフォンで何かの音声を聞いている。今、この状況で聞かなければならない音声なんてのはきっと存在していない。電車という行動の制限が生み出す時間を有効活用しようとする文化が息づいている。形は変われど、空き時間にボーッとすることは無駄な時間に定義されるのだろうか。座席には座らずに車窓の向こうの景色を見ている人が、異物のようだった。
「幹生さんって、今でも本屋に足を運んでるんですか?」
 横から聞こえてくる声に対して、「うん」と答えた。どうやらメッセージの返信が終わったようだ。
「電子書籍で発売前の小説も先読みできるのに?」
「面白いものはいつ読んでも面白いからさ。そこに競争はないよ」
「先輩、やっぱり時代のねじれに生まれたシーラカンスですね」
 幹生と彼女の中での価値観が決定的に相違していることに気付いた。小説を読むという行為自体は変わらないのに、求めるものが違う。彼女は面白いものをいち早く読みたいのだ。でも幹生の価値観には存在しない。面白いものはいつ読んでも面白い。それは太宰治やサリンジャーが証明している。問題は手にするタイミングだ。あらかじめ決め打ちして購入するのと、本屋で目に留まったとでは、野球で言えば硬球と軟球くらいの違いがある。もう別のジャンルだ。幹生も面白いものは早く読みたいという欲はある。でも本屋に並ぶまでの時間、探すまでの時間に生じるはやる気持ちを焦らされるのが好きなのかも知れないと思った。同時に思う。ネットの世界は、きっと瞬間風速が強い。早くしないと消えてしまう側面があり、その風をいち早く感じることと確認したという事実が大事なのだろう。勿論、ネット上のどこかには残っている。でも探すことが億劫なのだ。誰かが起こした風に乗れば、取り残されず、今を生きていることを感じられる。内容云々よりも答え合わせが大事。嫌な世の中だな。
「じゃあなんでラジオは聞くんですか? それこそ、いつ聞いても面白いものじゃないですか? 今はYouTubeでもradikoってアプリでも好きな時間に聞けるのに。深夜まで起きて聞くほどのものでなんですかね?」
「ラジオは別物なんだよ。あれは新鮮さが命の生物だから」
「へぇー。そうなんですね」
 ラジオは生物だ。生放送に生まれる化学反応のようなものには、後から聞くのでは冷めてしまう熱量がある。それこそ瞬間風速。学生時代からの日常、世界が劇的に変わる瞬間を何度も体験しているからこそ、幹生は今でも深夜に周波数を合わせてしまう。
「その生き方、きっと損しますよ」
 利便性に特化し受動的な生き方とアナログ的ではあるが能動的な生き方ではどちらが損をするのだろう。そんなことを考えていると、電車が止まった。アナウンスは品川に着いたことを伝える。
「それじゃ、私はここで降りますね」
 彼女は立ち上がり、振り向くことなく颯爽とホームへと歩いて行った。そして人の波に飲み込まれて見失う。後ろ姿を目で追い掛けながら、彼女のこの後のことについて考えた。この後、最終の新幹線に乗り込むはずだ。卒業時に地元に移り住んで、有事の際には新幹線でやってくる彼女の生き方は、利便性を優先しているようには思えなかった。
「オレみたいに時代錯誤でも東京に残るのと、時代の最先端に乗っかり地元で暮らすのではどっちが利便性があるのだろうか? そしてオレは損をしているのだろうか?」
 利便性の相違に思いを巡らせながら、携帯ラジオの電源を入れた。都内じゃないと聴けない声が、耳元にささやき始めた。

 文責 朝比奈ケイスケ

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