抜け落ちた記憶【ショート・ショート63】

「あと、何回殺せば、救われますか?」
 誰もいない明け方の公園のベンチで誰に向けた訳でもない私の言葉は、頭の中で跳ね返ってくる。自棄にでもなりそうだ。いや、もうなっているか。
 殺して、殺し続けたのかを考えるだけで胸の辺りが締め付けられるような痛みが走ることにも慣れつつある自分がいる。心臓なのか心と言う未確認因子なのかは分からないままに、不意にやってくる痛み。付き合っていくことが宿命めいているのは、殺し続けた代償なのだろうか。しかし、痛みがあろうが、なかろうが、私の人生は進んでいく。もっと言えば社会にとってはひどく些細な問題で、目に触れることはほとんどない。私の仕事が話題になったところで、時間が清流の役割と果たし、気付けば風化する。どんな凶悪事件が起きようと、それは混乱や狂気という安っぽい印象で留まり、最終的には暇を持て余した連中の暇つぶしの道具になるだけ。薄くなったテレビの映像で流れる情報のほとんどは、そうしたことを意味している。
 お前が居なくても、社会は何一つ影響はないと言わんばかりに。
 救いようのない世界だからこそ、私は殺し続ける。殺し続けた先に見える景色が、それこそが救いだと思い込んでいるからだろう。曇天が頭上には広がり、雨がいつ降ってきてもおかしくない。雨を欲していることに気付いた。古来から雨は神聖なものとあがめられて、崇高な自然現象。その神聖な雨という名の液体を被ることで、私の中の俗物を流し去ってくれることを期待した。
 しかし雨は、一向に振り落ちることはない。淡い期待も失望へと変わっていき、私のささやかな願いすらも受け入れてもらえない曇天を睨む。そんなことばかりだ。不平不満を頭の中で文字に御こして頭の中にある倉庫にしまう。もう、同じようなことを何度も倉庫にしまっているから、これは私の癖だ。
 ベンチから体を起こして立ち上がる。頭が痛み、足元が覚束ない。それに加えて平衡感覚が鈍っている。手を汚したことから逃れるための酒のせいだ。そんな自業自得の末路に手を添えるような人間はいない。千鳥足で歩きながらも頭の中では選択に迫られている。自力で部屋へと向かい歩くか、その場に倒れこんで通報を受けた救命救急士の手を借りて白い館に搬送されるか。アルコールに毒された私が選べる情けない二択しかない選択肢。選択を迫られている中でも私は足を前へ前へと動かしている。薄暗い道には、ここよりも遠い場所で新聞配達のバイクが鳴らすエンジン音だけが無機質に響いている。周りに見える住宅の窓には光は灯っていない。同じような無個性の住宅が並ぶ道は、私のような人間を拒んでいるようで、私の存在自体がことが罪のようにすら思えてしまう。
 罪は行為であり、私ではない。
 虚ろな目が、ささやかな光を見つける。とりあえず、そこまでは歩くことにしようと決めた。思った以上に光までの距離は短かった。自動販売機が私の姿を照らす。ジーンズのポケットに入れてあった財布を取り出し、小銭を入れて温かいコーヒーのボタンを押した。ドスン、と缶が落ちる音と共に音声はお礼の言葉を再生していた。缶コーヒーを取り出し、プルトップを開け、コーヒーを口に含んだ。甘さが口の中で広がる。気持ち悪い。自動販売機を眺めて、ペットボトルの水を購入しなかったことを悔やみ、その場所から再び歩き出した。最終的に自力で家まで帰るという選択肢を選ぶことにした。右手で掴む缶コーヒーは、まだ熱を持っており、温かい。その時、私には温もりと言うものを求めているような気がしてしまった。でも私は殺し過ぎた。
 そんな人間には、その欲求は手の届かない雨と同じ崇高なものだ。欲してはならないと言い聞かせて、進む速度を上げる。少しずつではあるが、まっすぐ歩けるようにはなっている。これで部屋に戻れるという安堵を感じる。何かを失ったような浮浪者のように
 私は量産的にすら思える作られた華やかな住宅地を進んでいく。歩く方向とは逆側の遠くの方で救急車のサイレンが耳に届いた。
 部屋に戻った私は、着ていた服装のまま万年床に身を預けた。次の瞬間には眠りについていた。正確には気絶なのかもしれない。そんなことを思うのは、目を覚ました夕暮れ時であり、明け方の曇天が嘘のようにオレンジ色の優しい光が四畳半の部屋に射し込んでいた。携帯電話を開き、時間を確認した。16時47分という文字が画面で大きく主張している。画面の大半を時刻が映っているが、下の方には着信とメールのお知らせがあった。
 メールの中身は「人気某アイドルが病んでしまっているから助けてほしい。貴方にしか頼めないのでお願いします」という文言が並んでいる。誰が心を打たれて助けようとするのだろうかと思うほど味気ない文章と青文字になっているメールアドレスには呆れた。本当に病んでいるのであれば、精神科かどこかカウンセリングセンターにでも送ればいいのではないかと思いながら、消去ボタンを押した。
 着信はSからであった。金をせびるIからではないことに一つ安心して、息が零れる。リダイアルをするがSは出なかった。果たしてSからの要件はなんだったのだろうかと思いながら、台所に行き、どこの店か分からない妖妖しい紫色の文字が印刷された箱の中からマッチを取り出し、煙草に火を点けた。煙草の先端からは、白い煙が漂い、吸うごとにオレンジ色の火が顔を出して先端が燃えていく。そうして灰が長くなっていくのを眺めながら、Sの着信を待った。
 結局、煙草が吸い終わるまでにSからの着信はなく、万年床をめがけて携帯電話を投げつけた。投げつけたことで一抹の満足感を抱いた私は、再び煙草を吸うことにした。最初の一本を吸うときには付け忘れてしまった換気扇の頼りない紐を引っ張り、起動させる。油汚れで黒く変色したプロペラは、起動することを心待ちにしていたかのように元気に回っている。その姿を見ていると、少しだけではあるが、気持ちが穏やかになる気がした。同時に仲間意識を感じた。
「オレらは似ているような。やることが決められて、それを遂行するだけで評価される」とこぼした私に返事をするように風を切り裂く音が台所には広がっていく。
 何もしないまま、時間が流れることに従順なままに過ごした。外は暗くなり、街灯が光を灯している。どうやらSの連絡には、急を求める内容ではないことを確信した私は、最寄りのコンビニへと向かうことにした。洗濯した服に袖を通すには勿体無いと思い、そのままの服装で、髪の毛が跳ねた寝癖など気に留めることもなく、スニーカーを履きながらドアを開ける。
 左足に湿った不快感があった。その正体を知るために目線を足元に落とす。明け方に買った缶コーヒーが玄関には転がっており、中身がこぼれていた。違う靴を履き変えることよりも食欲が勝った私は、その違和感と共に外に出た。
 秋の風が吹き、シャツだけでは少し肌寒さを感じるが、コンビニまでは5分も掛からない。気持ち早歩きで向かう。左足の不快感が苛立ちに変わっていくのを噛みしめながら、そして食欲を満たすためだけに歩いた。
 店内からは眩しい明るい光が広がり、外にもその光の存在が程度に暗い道を歩いていく中で、昨日の記憶が欠如していることに今更気付いた。何故、あんなに泥酔していたのだろうか。普段ならありえない。酒場でのことを思い出そうにも思い出せない。何があったのだろうか分からない不安で頭は占めていき、穏やかさが消え失せる。元々、穏やかさなど持ち合わせていないから、自分の感情の機微がバカバカしくて、店内で笑った。
 足早に弁当とお茶を購入し、来る時よりも早い速度で部屋に戻った。しかし、部屋に戻ったところで解決に導くようなものはない。記憶を繋ぐのは、缶コーヒーの空き缶と作られた華やかさが際立つ住宅地、そしてベンチのある公園だけだった。抜け落ちた空白が想像力を掻き立てる。記憶のない時間、何をしていた?何をしてしまったのだろうか? なんてことを必死になっていく。分かっているのは、昨日も生業に身を投じたことくらいだ。
 空白の中身は、ふとした瞬間に気付くか、もしくは永遠に思い出せない。どちらか二択である。どちらにしろ、いずれ忘れる。社会で起きる出来事のように有ったことを無かったことにするだけの話だ。忘却は私の、いや人類の武器である。そう答えが出たとき、徐々にではあるが、歩く速度が遅くなった。そして今まで早足で進んだ私自身をひどく恥じた。
「まだ、ダメだな。救われようとするなんて」
 誰にも聞こえないように呟く。この時、私の表情は緩んでいただろうか。

文責 朝比奈ケイスケ

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