ミスターいい人【ショート・ショート60】

「どう思う? ミスターいい人」
 いつの間にか浸透した二つ名は、僕を見事に形容している。受け入れるのに時間が掛かったのは、いい人という単語の中に組み込まれた幾つかの意味のせいだ。文字面は良いけれど、言ってしまえば蔑みに近い。
 優しいし、いい人なんだけど。
 そんな告白の断り文句は耳にタコができるほど聞いた。僕のことを傷つけないようにする彼女たちのぎこちない優しさには時差があって、時間が経つにつれて傷口が広がっていく救いようのない痛みを味わい続けた。きっと優しさは刃物であり、人を傷つける上で最大級の切れ味を持っている。
「答える前にミスターいい人ってのは、やめてくんないかな?」
 僕はため息交じりに言う。
「事実は変えられないから無理」
 久し振りに会った友人は、表情一つ変えることなく答える。まるで二つ名が僕の名前のように。軽蔑の念を感じてしまうのは、僕の被害妄想のせいだろうか。
「お前に頼んだ僕がバカだった。んで、なんだっけ?」
「いやさ、この前の合コンで仲良くなった子の話だよ。お前、人の話はちゃんと聞けよな。そういうとこだぞ」
「この手の話を聞き過ぎたせいだな」
「なんでこんな奴が、あの子から連絡が頻繁にくるんだよ? あぁ納得いかねぇ」
 愚痴る友人は、アイスコーヒーの入ったグラスを手に持って口を付けた。グラスは傾き、黒い液体が口元へと向かい流れていく。店内を覆う穏やかなBGMの中に氷が落ちる音が溶け込んでいくのを聞きながら、僕は火が点いていたタバコを口元へと運んだ。こいつは何にも分かってないんだな。現状、僕の方が優位に見えるかもしれない。でも実際はお前の方が可能性が高いんだよ。もしも彼女と付き合うことが賭け事であるのならば、全額お前にベットしても良い。きっとベットした金額以上が戻ってくることを僕は知っていた。
「納得するもしないもお前次第だから気にしないけど、こんな風に僕に愚痴をこぼしているなら、彼女を誘った方が生産的な時間だよ。知ってるだろ? 僕はこの手の話にはひどく疎いんだ」
「お前以外に相談できる奴がいないんだよ。彼女のことを一番知っているのはお前だとオレの勘が言ってんだ。彼女と仲の良い友達よりもだ」
 力強い友人の言葉に一瞬怯んだ自分がいた。仮に彼女のことを一番知っている人間だとして、そんな場所にいる僕が付き合えていない。恐らく何かが足りていないのだろう。その何かは未だに分からないけれども。
「愚痴を聞くこと、相談を聞くこともできるけど、僕にはそれ以上のことはできない」
「聞くだけでいいんだ。お前は聞くことに長けていると思うし、誰かの話を聞くことに無駄な横やりも勢いだけの無鉄砲なことも言わない。お前には悪いんだけど、オレが思っていることをぶつけて頭の整理をしたいんだ」
「僕はお前のノートか何かか?」
「いや、ブルペンキャッチャー兼信頼できる友人だ」
「ひどく献身的な役回りをくれたもんだな。というか最初に信頼できる友人を持ってこいよ」
 中学時代から野球部で共に汗を流した友人の屈託のないまっすぐな言葉に苦笑を浮かべて、ヘタクソな皮肉を言うことしかできなかった。でもそのポジションに親しみを持っている自分がいる。同時に決して表舞台に出ることのない影なんだと突き付けられるような気がした。
「んで、彼女を誘うならどこが良いかな?」
「そんなもん、自分で聞いて考えろよ」
「連絡が途切れ途切れになっている状態で、悠長に駆け引きしている時間はないんだよ。お前も知ってるだろ? 彼女の可愛い顔と顔に合ってない身体を。この前は服の感じで主張してなかったけど、きっと胸はデカい。顔も良くて胸もデカい。それに気遣いもできる子となれば競争率は日々上がっていく。敵が少ないうちにお近づき、なんなら彼氏のポジションに座っていたいんだよ。分かるか?」
「お前の頭の中はヤルことしか考えてないのかよ」
「下品なことをまっすぐな目で言うなよ。勿論、付き合う前からオイタするほどバカじゃねぇけど、オレの論理は間違ってるか?」
「いや、間違ってはない。彼女にしたいと思う奴は日々増えると思う。多分、やり取りしてる男がお前以外にもいるんだろ? だから連絡が途切れ途切れじゃないの?」
「えっ、やっぱりオレ以外にやり取りしてる奴いんの? そりゃ早く行動に移さなきゃ。だからさ、何かヒントくれよ」
「ヒントってなんだよ?」
「彼女が好きなものとか、よく行ってる場所とかさ」
「なんで?」
「なんでって、お前はバカか?」
 友人は人差し指をこめかみに当てて言う。テレビでよく観る出川哲朗が頭に浮かんだ。こいつ、バラエティ観ないとか言ってる割に芸人の行動を真似するんだよな。テレビを観ないことがカッコいいって本気で思っている節が見え隠れして、僕は込み上げてきた笑いを飲み込んだ。でも同時に羨ましいと思った。自分が抱いた価値観を演じようとする純粋さが、僕には眩しく見えてしまうから。
「水族館によく行くって言ってたかな。んで、最近都内でオープンした水族館に行きたいとも言ってたかな」
 僕は彼女が二番目に好きなことを友人に伝えた。一番好きなものは二人の秘密にしておきたいという邪な考えのせいだった。彼女と仲良くなれたのも、二人の秘密のおかげだ。
「マジか、さすが信頼できるぜ」
「尊敬の念も信頼の念も感じさせない軽さは一体なんなんだよ?」
「ちょっと待って。新しくオープンした水族館検索するから」
 友人はスマホを見つめながら、指を器用に動かしている。これ以上友人の軽薄さについて言及するのも馬鹿らしくなって、カフェオレが入ったマグカップを手に取り口へと運んだ。思ったよりも時間が経っていたみたいだ。冷えてしまった分、温かかった時には弱かった苦さがやけに主張していた。友人は検索を終えたようで何かを呟きながら、スマホに触れている指をさっきよりも滑らかに動かしている。どうやら、デートに誘う文言を考えているようだ。何かを口にするのも憚られて、僕は新しいタバコに火を点した。天井へと向かう紫煙を見つめる。
「そういえばさ、お前はどうなの?」
 誘い文句を考え終えたのか、友人は急に真顔で訊いた。
「どうなのって?」
「彼女のことだよ。今さ、デートに誘う文章考えながら、まだ見ぬライバルの存在を考えていたんだけどさ、一番のライバルが目の前にいるじゃんって思ってさ。お前はどうなの? 彼女のこと」
 好きだよ。
 その言葉を言えないのは、臆病な僕の悪い癖だ。言ってしまえばきっと友人は僕の背中を押す。知っているんだ、誰よりも友達思いの良い奴だってことは。だからこそ、僕は言葉を飲み込んだ。彼女は僕が付き合うよりも目の前にいる友人と付き合うことのほうが、確率的に幸せになる可能性を高いのだから。
「仲の良い友人だよ。それ以上もそれ以下もない。知ってるか、僕はミスターいい人なんだよ」
 自分の胸を切り刻むように口にする自虐。僕にたりないものは、きっと友人のようなまっすぐな気持ちと素直な行動力だと悟った。友人は笑いながら「自分で言うなよ」と笑い、僕は誤魔化すようにカップに残ったカフェラテを飲み干した。沈殿して凝縮した苦さが口の中に広がっていった。

文責 朝比奈 ケイスケ

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