周波数【ショート・ショート59】

 家に帰ることには日付が変わっている。代わり映えのない日々を過ごしていると、感覚が麻痺してしまうことを社会人になって知った。学生時代、日付が変わる深夜の時間帯はワクワクしていた。ゴールデン番組とは異なる深夜番組、寝静まった街の景色、飲み会帰りの浮ついた足取り。どれもが同じ時間軸であると信じたくないほど、冷たくなった夜。そんなことも最近では慣れ始めている。静かで暗い雰囲気をぶち壊す明るい車内にいると、あの頃の記憶が全て嘘だったのではないかと疑ってしまう。
 改札を抜けるとアルコールと夜風が混ざった生ぬるい風が肌に触れる。終電前の駅らしさも帰宅が至上命題の僕には他人事でしかなかった。毎日のように歩く道は駅の明るさを際立たせるような暗さで、生きていることが地獄のように感じてしまう。
「ヤバいな」
 駅前のコンビニで買った缶ビールを飲みながら呟いた本音は、国道を速度違反で駆け抜ける乗用車がかき消した。
 徒歩10分、ワンルームの部屋に戻った頃には予想通り日付が変わっていた。ため息をこぼしながら、ワイシャツのアイロンがけに勤しむ。
「こんなことをするために就職した訳じゃないんだけどな」
 時間を費やした分、皺が伸びて綺麗になったワイシャツ。一抹の切なさを抱きながらハンガーに通す。スーツラックに掛けて、フローリングに横になり、飲みかけの缶ビールを手に取る。重さは感じなくて、帰り道に殆ど飲んでしまったことを忘れていた。
「あぁ、どうしょうもないな」
 一人暮らしを始めてから増えた独り言。肯定も否定も相づちもない独りよがりのコミュニケーションは、誰かと話したいという欲求を示している。その事実は話し相手のいない人間だと突き付けられるようで、悲しさと哀愁のようなものをブレンドした感情を露出させる。スマホは安定して誰かからの連絡を伝えない。人間関係の希薄さを表面化させることは、弱っているときには心底堪える。
「どうしょうもないな」
 弱々しく呟いたところで何かが変わるわけではなかった。変わり果てた日常、心身を染める仕事は僕を何者かにすり替えたのかもしれない。そんな時、スマホが音を立てて震えた。聞き慣れたアラーム音はパブロフの犬よろしく、僕を窓際へと誘う。何枚ものノベルティステッカーが目立つ使い古したラジカセのアンテナを伸ばす。電源を入れるとノイズ混じりの音声が部屋に響き始める。
 しばらくすると流れ始めるビタースイートサンバ。あの頃と変わらない音楽が、何者かにすり替えられて見失っている僕を呼び戻す。パーソナリティも変わって、内容も変わった。思春期の頃、ワクワクしながら聞いていたパーソナリティはもうナイナイしかいない。でも目に見えない周波数が、僕とパーソナリティ、そして顔も名前も知らない人たちを優しく包み込んでいることは変わらない。
 聞き覚えのある小気味よいやり取りがラジカセから聞こえる。忘れていたけれど今日は金曜日みたいだ。時間が経つにつれて、心拍数が上がっていくのを感じる。
「ラジオネーム、人生送りバント」
 普段出すことのない感情や思ったことを吐き出した内容が、全国に流れる。そして「コイツ、どうしょうもないな。でも毎回、はがきありがとな」と笑いながら言ってくれるパーソナリティに今日も救われた。小さめのガッツポーズしながら部屋を眺める。机に置いた時代錯誤のはがきの山とノベルティを収めたファイルが目に入る。
 そしてメール全盛時代に抗うように僕は今日もボールペンで考えたネタをできるだけ丁寧な文字で綴っていく。あの頃から変わらない習慣が、壊れかけた僕を支えてくれる。今も、そして多分、これからも。

文責 朝比奈ケイスケ

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