夏空【ショート・ショート58】

 今日が猛暑日だとラジオで知った。スマホ一つで簡単に情報を調べることのできる昨今で、昔から存在しているツールを通して、かつ誰かの声で情報を得ることは時代錯誤のように思えた。
 窓辺の指定位置に置いたラジカセ。周波数を安定的に捉えるために伸ばしたアンテナは、少し前の携帯電話を彷彿とさせた。あの頃の携帯電話に収縮自由のアンテナが標準装備されて、笑ってしまうほど長いアンテナで電話をしている人がいた。多分、今の若者は信じられないような顔をして、そして呆れるか、笑うのだろうなと思った。
 腰掛けていたソファーから立ち上がる。カーテンを捲り、窓を開けた。眩しい日差しと蝉の声が耳に届く。夏に相応しい青空だった。思わず目を閉じてしまった。どうやら太陽への苦手意識は健在のようだ。
「さて、何をしようかな」
 取り立ててやることはなかった。社会人の休日なんて、誰かと関わることがなければ手持ち無沙汰になる。ここ数年で得た教訓は大人になったことを示し、自分自身がいかに寂しくて、色々なことについての関心が希薄であることを映し出す。休日は好きだけれども、何もしないで良いと言われると困ってしまうのが、現実だった。
 いつかに買ったTシャツと学生時代のジャージに身を包んでいると、今でも学生のような錯覚を受ける。でもそんなことはなくて、若者とおっさんの境界線に立っている。二日酔い知らずの身体は遠い昔で、計算しながら酒を飲まないと頭痛や吐き気に見舞われる。ただ今日は大丈夫だなと安心する時点で、もう若者ではなかった。ふと視線をテーブルに合わせる。晩酌に飲んだビールの空き缶とつまみの袋が置かれている。
 休前日ということで久し振りに生でオールナイトニッポンを聴いていた数時間を回顧する。外枠は覚えているけれど、細かい部分は抜け落ちている。でも笑っていたことが救いだった。
 ラジカセから流れるのは地元FM番組。耳障りの良いパーソナリティの声と名前も知らないような洋楽を聴きながら、スマホを操作する。最新の通知は、どれもパーソナルなものではなかった。LINEもメールも着信履歴もない。呆れるほどの日常で、一喜一憂していたことが懐かしく、なんだか仙人にでもなったような感覚に陥る。通知を確認し終えると、冷蔵庫からアイスコーヒーの入ったペットボトルを取り出して、棚からコップを取り出して注いだ。甘くないコーヒーを口に含みながら、頭の中でやるべきことを挙げていく。洗濯物以外、何もなかった。惰性で脱衣室に積み上げた数日分の衣類と洗剤を洗濯機に入れて、起動させる。
 洗濯物を干せば、今日やるべき事は終わってしまう。こんな未来を知っていれば、もっと学生時代に色々なことに触れておけば良かったと思う。もはや後の祭りだった。別にそれでも良いと思えた。学生時代には、自分の将来を見つめるよりも今日明日の出来事に夢中になっていたと思えるからだった。
「夏か」
 再びソファーに腰掛け、呟いた。
 夏だから海に行かなきゃ。夏だから出かけなきゃ。なんて使命感を持ち合わせていないことで生じる身軽さに呆れながら、24時間を切っている休日の過ごし方を検討する。昨日にビールと一緒に買い込んだ生活用品を踏まえると、買い物に行くことは無駄遣いであり、あまり合理的では無かった。そういえばいつから生活に合理性に照準を当てるようになったのだろうか。自分の時間を作るといった自己啓発本が並ぶ本屋の棚を見つめて抱いた疑問符が脳裏に浮かんだ。
「自分の時間はある。でも、なんだか満ち足りない」
 恐らく何かしらやることがある人にとっては、時間を作ることは重要な要因なんだろうけれど、これといって時間を過ごす術を持たない人間側になると時間の有無よりも中身に目を向けてしまう。仕事までの待ち時間、それが僕の休日だった。待ち時間に何ができるかと言えば、身体に負担を掛けないように慎ましく過ごすが理想型だった。仕事が中心の人生に落胆する活力でもあれば、もっと違うのだろうか。遊びも重要なことは分かっている。でも、きっとその人を作り上げるのは仕事だ。遊びと仕事が直列回路で繋がっている人が推奨されるけれど、僕には到底出来そうに無かった。かといって並列回路でもないから、ひどくつまらない人間なんだと思い込んでしまう。
 極端に考えてしまう悪い癖を自嘲しながら、心の奥底に押し込んだはずの一念がくすぶっていることに気付く。燃え殻になったはずなのに、どうやら僅かな残り火が煙を上げているようだった。モロクロームに変換した一念。忘れがちになっているのは、色が地味で普遍的だからだろう。だから生きている上で目にする幾多のことが放つ瞬間的で鮮明な色に目移りしてしまう。それくらい地味な色が僕の深いところに染みこんでいる気がした。
「やれやれ」
 僕は誰に言うわけでも無い戸惑いを口の出して、クーロゼットに押し込んでいた段ボールを開けることを決めた。
 ガムテープを剥がすと漂う懐かしさ。あの頃描いて、無理矢理飲み込んだ一念。タイムカプセルを開くような気恥ずかしさが鳥肌として身体を現れる。一眼レフに触れると蘇る記憶と熱量は静かに訴える。
「青空でも撮りに行くかな」
 外行きの服に着替えて、一眼レフを首から掛ける。スニーカーを履いて、玄関のノブに手を掛けた瞬間に洗濯が終わったことを知らせる音が脱衣室から聞こえた。
「これは洗い直しだな」
 僕は呟き、通知音を無視して外に出た。真夏の太陽と青空が再スタートを喜んでいるように思えるほど眩しかった。僕は受け入れるように瞼を開いたまま、大きめな歩幅で一歩を踏み出した。

文責 朝比奈ケイスケ

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