観覧車【ショート・ショート57】

 夏休みに入って、二週間が過ぎた。普段、キャンパスで顔を合わせる仲間との一時的な別れが寂しく思えるくらいに、僕の大学生活は鮮やかだった。
 久し振りの再会は、葛西臨海公園だった。リーダーが言い出したバーベキュー大会は、これで四回目。大学生活の夏はバーベキューという変な刷り込みに従順な僕は、良くも悪くも青春を謳歌していた。そうでもなければ、スーツ姿で京葉線に揺られることはなかったと思う。開始時刻は11時。運悪く就活の面接日にぶつかった僕は途中参加だった。車窓から見える晴れ渡った夏空を見つめる。折角なら肉食べたかったなという本音が口から出そうになる。
 ため息交じりに腕時計を確認する。16時半を過ぎた頃を針は示す。もはやバーベキューは終わっている時間帯で、参加する意味の大半は失われていた。それでも向かっているのは、僅かな時間であってもアイツらに会いたいと思ったからだ。
 葛西臨海公園前駅に電車が停まる。車内は、夢の国に遅れて向かう人か幕張などの都市に向かう人が殆どで、下車したのは乗っていた車両では僕だけだった。右手でネクタイを緩めながら、まばらにいる人を避けながらホームを歩く。改札を抜けると、コンクリートに跳ね返る太陽光が陽炎を作り出していた。こんな夏日にスーツなんて着ている自分の運の悪さを呪った。
 容赦ない日差しを全身に受けながら、スマホで送られた場所へと向かい歩を進めながら、小学校時代の授業を不意に思い出した。
「ったく、14時以降日差しは弱まるんじゃ無かったのかよ」
 駅から続く一本道には、ホテルや水族館の入り口と分かれる道があり、分かっていたけれど誰もが夏に相応しい薄着と笑顔を浮かべて歩いていた。歓喜に染まった空間において、実に相応しくない自分の姿を自嘲してしまう。こんなことなら着替えでも持ってくればよかったかなと本気で思った。
 指定された海岸には老若男女がそれぞれの時間を過ごしていた。半裸の若者を横切ったときに、好奇の目で見られた。お前の場所はここじゃないと言わんばかりの目に嫌悪感と、将来のお前らの姿だぞという苛立ちを含んだため息が自然とこぼれた。
「おーい」
 波打ち際で騒いでいる若者の姿が目に入った。男達はみな半裸で、これでもかと夏を満喫していた。本来なら舌打ちの一つでもしたくなるところだけれども、仲間がルールを守った上で騒いでいると思うと抱く感情は異なる。利己的だなと思いながら、声の方に近づく。
「面接、お疲れ」
 グループの参謀が僕に声を掛ける。僕は右手を挙げて答えた。すると次の瞬間、銀色の缶が僕に向かって放られた。緩やかな軌道を描いた缶を右手でしっかりと掴む。水滴が付いた冷たい缶は、恐らくクーラーボックスで冷やしていたと分かる。仲間の気遣いと右手から伝わる冷たさは、今の僕にとっては一番欲しかったものだった。
「サンキュー」
 僕は何も考えずにプルトップに指を掛けて、慣れた手つきで開ける。すると飲み口から一気に吹き出すビールに全身が濡れた。どうやら子供じみたイタズラに引っかかったようだ。でも冷えたビールは心地よくて、スーツが濡れたことなどどうでも良く思えた。
「ダセー」
 波打ち際で遊んでいたリーダーの声が聞こえた。ったくアイツが仕掛け人か。相変わらず子供だな。
「ほらよ」
 グループの三枚目がタオルを手渡してきた。海岸に敷かれたレジャーシートにスーツの上着とカバン、そしてイタズラを仕掛けられていた缶を置いてから、タオルを受け取って顔や濡れたスーツを拭いた。その間に三枚目はリーダーに呼ばれて、波打ち際へと走り出していた
「ったく、これ考えたのアイツだろ?」
 半分以上が無くなった缶を一瞥して参謀に訊いた。手に持ったタオルは首に掛ける。ワイシャツにタオル。作業着の下にネクタイを締めるくらいに違和感のある組み合わせだったけれど、そんなことはどうでもよかった。
「そんなの聞かなくても分かってるだろ?」
「ガキだな、呆れるほどの」
 僕は手に持った缶の飲み口を口元まで持っていき、残ったビールを一気に飲み干した。ビールが喉を通る音が聞こえた。
「どうだった、面接は?」
「手応えはないけど、落ちた感じもなかったかな。正直、僕には分からないよ」
「それを人は手応えがあったって言うんだよ」
 参謀はクーラーボックスから新しい缶ビールを取り出して、僕に差し出した。  さすがに二回目はないだろうと思いつつ、それを受け取った。さっきの経験を活かして、ゆっくりと、それでいて飲み口から身体を離しながらプルトップを開ける。手応えからして今度は仕掛けがないようだ。
「疑い深いな」
「そりゃ、あんなに綺麗に引っかかったら疑うだろう?」
「スーツは大丈夫か?」
「クリーニングは決定だけど、この暑さには丁度良いよ」
「真夏の海に一番相応しくない格好だな、それにしても」
「それはここに辿り着くまでに嫌というほど感じてるよ。そういえば、お前らしかいないの?」
 電車に揺られている時に送られた写真には、総勢7名の男女が映っていた。その中の一人の女性に僕は片思いをしていて、話したいと思っていた節がある。
「女性陣は買い物に行った。みんなで騒いでたら、買ったもんあっという間に無くなってな。これで3回目の買い出しだよ」
 参謀はペットボトルのコーラを飲みながら呟いた。酒が弱い参謀にとっては理解できないだろうな、酒好きの連中の心中は。
「お前ら、どんだけ飲んでんだよ?」
「お前がいない分、去年よりは少ないんじゃないか? お前がいると缶ビールは何本あっても足りないからな」
 参謀は笑いながら言った。僕はどれだけ酒好きだと思われているのだろうか。
「毎年、帰れる程度にしてるよ」
「去年は1ダース飲んでもんな?」
「10本な。余った二本は飲まずに持って帰ったよ」
「その補足説明いらねぇ。まぁ、女性陣はそのうち戻ってくるよ。いる?」
 参謀はタバコの箱を僕に向ける。僕は笑みを浮かべて頷き、一本のタバコを貰ってポケットの忍ばせたジッポーで火を点した。参謀も火を点した。タバコを吸いながらシートに腰掛け参謀と話していると、買い出し組が海岸へと戻ってきた。そのことを伝えるように海で遊んでびしょ濡れになったリーダーと三枚目も僕らの方へと戻り始めていた。伸びていた紫煙は、さながら狼煙の役割を果たしているようだ。
「面接、お疲れ様」
 女性陣の労いの声を聞きながら、満ち足りた気持ちになっていく。バカ騒ぎできる仲間がいて、その場所に居場所がある。そのことは僕にとっては大きかった。このグループに居て、本当に良かったと思った。僕らは買い出しで追加された飲食物を手に取りながら、写真を撮ったりして、鮮やかな時間を過ごした。でも彼女と話す機会は、タイミングが合わずになかった。自分に染み付いた消極性に嫌気が差して、頭を掻きむしりたくなるくらいにイライラした。
「この花火は?」
 三枚目はニヤニヤしながら訊いた。女性陣は笑いながら「こんな日は花火やりたくなるでしょ?」と答えて、シートの上は盛り上がった。でも海岸で時間を過ごすには待ち時間が長い気がした。
「観覧車乗ろうぜ」
 リーダーは屈託の無い笑顔を浮かべ、観覧車を指差した。
「いいね、乗ろう」
 やれやれ。どうやら乗ることは決定事項みたいだ。
 僕らは荷物を片付けて、観覧車へと向かい始めた。その行動力は小学校の休み時間にドッヂボールに向かう小学生くらいに迅速だった。つかず離れずの距離を保ちながら歩いていると、三枚目が近づき僕の肩を叩いた。
「なんだよ?」
「観覧車は乗るもんじゃ無くて、見るもんじゃなかったのか?」
 ニヤニヤした三枚目の頬は赤く染まっている。思ったよりも飲んだみたいだ。
「見るもんだよ」
「でも、今日は乗るんだ?」
「荷物番、やるつもりだよ」
 三枚目はもう一度僕の肩を叩いた。さっきよりも力強く。
「何言ってんの? お前は乗るんだよ」
「なんで?」
「ハスんな、ハスんな。今日はチャンスだろ?」
 僕は前方を歩く小さくて可愛らしい背中をまっすぐ見つめた。確かにチャンスだった。それは反論できない事実だ。
「でもなぁ」
「お前さ、否定で始まるの止めたら。アイツが作った折角のチャンス、無駄にするなよ」
「アイツが作ったチャンスって何だよ?」
 僕は手持ち無沙汰に耐えかねて、ポケットからタバコを取り出して火を点した。路上喫煙はルール違反なのは分かっていたけれど、そうでもしないと気持ちが安定しない気がした。
「アイツが観覧車に乗るって、その場のノリで言ってると本気で思ってんの?」
「違うの?」
「普段はノリだろうけど今日は違うよ。アイツはグループを一番大事に思ってる奴だ。そんな奴がわざわざバーベキューが終わっている時間でもお前を呼んだ理由を汲み取ってやれよ」
 僕は返す言葉を失った。ったく、全部計算済みかよ。
「んじゃ、頑張れ」
「頑張れって、お前な」
 三枚目は僕の背中を叩いて、僕の横から離れていった。密室の19分、正直耐えられる気がしなかった。
 観覧車の乗り口に着くと打ち合わせ済みと言わんばかりに二人組が自然と作られていく。四人乗りだからさ、と言った僕の声はどうやら届かないみたいだ。ここで引くのは嘘だよな。僕は目を瞑って覚悟を決める。そしてゆっくりと彼女の横に立った。
「一緒に乗ろうか? 二人で」
「えっ」
 色めき立つ仲間の声を無視して、僕は白くて細い彼女の手を掴んだ。彼女は抵抗することなく、頬を赤めた顔を伏せるようにしながら黙って頷いた。
 これから始まる19分は長いようで一気に過ぎ去っていくような短い時間になる。太陽が沈み始めて夕焼けに染まった景色で二人きりの19分。どっちに転んでも一生忘れられない時間になる気がした。

文責 朝比奈ケイスケ

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