きっと貴女は遠くで泣いているから【ショート・ショート56】

 当たり前が当たり前じゃ無くなった。失って気付く幸せなんて、よく分からなかったけれど、突然目の前に現れると大きさに自覚的になってしまう。僕はきっと傲慢で、無頓着だ。
「今年の花火大会、中止らしいよ」
 電話口で彼女は寂しそうな声を漏らした。今年の春に上京した彼女は、地元に残っている僕よりも地元のことに詳しかったりする。不思議な感覚に陥るけれど、軽いホームシックのようなものに苛まれているのだと勝手に認識して飲み込んだ。
「えっ、そうなの?」
「そうらしいよ。ユキが言ってた」
「ユキ先輩も上京組じゃ無かったっけ?」
「そうなんだけど、地元のネットワークは健在だから」
 元気なく呟く彼女の声を聴きながら、静まりかえった住宅地をぼんやりと歩く。家から溢れる生活光と街灯が申し訳ない程度に夜を照らしている。蝉の声が響くのんびりとした景観に相応しくないスマホという最新機器を耳に当てながら、なんて答えるべきか考えていた。
「みんな地元が好きなんだね」
 イマイチ、ピンとこない感覚は地元に住んでいるからこその盲目になっている部分なんだろう。いつか僕もこの場所から見知らぬ場所へと移り住んだら、懐かしさに胸を焦がすことがあるのかもしれない。
「どうなんだろうね? 私は好きだけど、それよりも寂しさが上回ってる気がする。新しい場所で今までのように振る舞えない部分も多かれ少なかれあるし。そうなるとね、ストレスが出てくるの。イエスと言いたい部分でもノーと言わないといけないとかね。従来の価値観を少しずつ壊れちゃうの。でも壊した部分を補填するには新しい価値観を加えなきゃいけなくて、その調整が思ったよりも難しいの。自分が好きだった人、今までの立ち位置、環境が好きだった人には受け入れるのに時間が掛かるの」
「なんだか理科の実験みたいだね?」
「その例え、ちょっとヘタかも」
「うるさいな」
「淳はどう? 部活頑張ってる?」
「頑張るにも最近学校が始まったばかりだし、部活も制限されてるからなんとも言えないかな。夏大も中止になっちゃったし」
「でも練習はしてるんでしょ?」
「それとなくは」
「それとなくじゃなくて、ちゃんとやるの。分かった?」
「はい」
「それでよろしい。電話したときも呼吸が上がってたし、私は嬉しかったよ」
 電話が掛かってくる瞬間まで、ダッシュを繰り返していた。そのことを彼女は見透かしていた。
「目標が無いと大変だけど、続けなきゃダメだよ。ここで手を抜いたら、いつか後悔する。それにこんな場面でも続けていたってことはきっと財産になるよ」
「自己啓発本でも読んだの?」
「読んでないよ。ただ、そう思っただけ」
 上京してからの彼女の声に弱々しさを感じる。ここ最近は特にだ。なんだか嫌な予感がした。漠然とした感覚が訴えかける。
「それじゃ今日は寝るね。明日、寝坊しないで学校に行くんだよ」
「それはお互い様でしょ?」
「残念、私はリモート授業だから」
「それでも寝坊はダメでしょ」
「大学生は自由なの。高校生みたいな規律はないの」
「でも寝坊しないようにね。ちゃんと寝るんだよ」
「ありがとうね。それじゃおやすみ」
「おやすみ」
 無機質な機械音が耳元に届く中、僕は彼女のことを想った。そしてボロボロになったランニングシューズを見つめる。夏大が中止になっても練習を続けた理由を悟った気がした。幸い、財布もスマホも応急処置セットも持ち合わせている。ここで行かなきゃ、嘘だ。
 感情のままに走った。綺麗と彼女に褒められたフォームを維持しながら。10分で着いた国道、この道の先には彼女が住む街がある。遙か遠くに。文明開化の恩恵で彼女との精神的な距離は縮まった。でも物理的な距離という絶対的な問題は埋めることはできない。何台もの車が通るのを見続けて、高校生という立場の弱さと無力さ思い知った。でも素直に諦めることができるほど大人じゃない。
 僕は勇気を振り絞って、ゆっくりと親指を立てて右手を伸ばした。

文責 朝比奈ケイスケ  

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