空虚な目をして何を思う【ショート・ショート50】

 何故、自分自身に満足できないのだろうか。
 ベッドの上に身体を預け、ぼんやりと考えてしまった。考えてしまったら最後、僕は設問を解くために腐っている脳みそを動かして答えを探してしまう。泥沼に嵌まったような時間だ。精神的にも追い込まれる。考えている間は設問にばかりに意識がいく。無意識で緊張する身体はこわばっていく。結果的に疲弊して、せっかくの休日が過ぎ去ってしまうことを分かっていながら、僕は答えの見えない設問を考えるという愚行を繰り返す。
 浮かぶワードや理由を列挙しながら、一つ一つを丁寧に咀嚼して反芻していく。まるで臨床実験に勤しむ研究者のような所業だ。空虚な目を浮かべて手触りのない問いを求めていくと、なんだか自分という人間がよく分からなくなる。等身大の自分が見えていない気がした。
 考えているうちに気分が悪くなっていくことを自覚する。仕方が無く台所まで歩き、水道水をコップいっぱいに入れて、一気に飲み干した。美味くもなく、不味くもない常温の水分が乾いていた口の中を潤していく。
 数年間に購入した椅子に腰掛け、テーブルに置いたメモ帳とペンを手に取って、満足できる、いや合格点を与えられる事柄を汚い字で書き出した。
 セリフも背景もしっかりと覚えているくらい読み返した小説や見返したドラマがある。
 新刊を迷いもせずに買えるくらいの給与はある。古本なら新刊以上に買うことができる。
 好きなアーティストがいて、ライブにも行ける。ライブに行かないまでも部屋に置かれたコンポで聞けるし、スマホでも聞ける環境にいる。
 愛しているという大それた言葉を使うには気が引けるけれど、その言葉に匹敵するくらいに夢中になれるスポーツがあり、プレーすることも観ることもできる。
 どんなに落ち込んでいても聴いてしまえば自然と頬が緩んでしまうラジオ番組と笑わせてくれる芸人の存在を知っていて、どちらも簡単に見聞きする方法を持っている。
 時間という定義が歪ませることができる事柄を一つは持っている。
 自分自身だけの時間を切り取って書き出した文章は、あまりに偏りがあって、そして少なくて笑った。
「オレ、好きなこと少ないな」
 呟いた言葉が僕を見事なまでに表現していた。量より密度を体現していることにオタク気質を垣間見た。
「んじゃ、次は」
 身体が動くまで一緒にプレーしたいと思えるチームメイトがいる。 
 僕の良いところも醜いところも知っている奴が数名はいる。
 醜いところを見せないまでも、一緒にいて楽しいと思える人と連絡が取って飲みに行くこともできる。それに何も持っていない自分を肯定してくれる人もいる。
「なんだ、幸せじゃん」 
 誰かの物差しを借りて計ってしまえば、こんなことは幸せとは呼ばないかもしれない。でも自分自身が持っている物差しを用いて計測してみれば、幸せの断片を理解していて、満足できると胸を張れる。楽観的な思考回路が優先できれば、迷うことはないのかもしれない。でも僕の中に染みついた悲観的な思考回路が呟く。
「色々と繕っているけどさ、お前はさみしくてつまらない奴なんだよ」
 確かにそうかもしれない。不覚にも思ってしまった。
「コイツか、原因は」
 満足できる環境が当たり前になって日常に般化してしまって、感覚を鈍らせているのかもしれない。よく言うだろ? 大事な物は失ってから気付くって。
 手垢が汚いくらいに付いた言葉は本質で、的を得ている気がした。だから時代を越えても流布されるのだろう。当たり前という刺激が乏しい幸せのせいで知らぬ間に盲目になってしまっているのだろうか。いや違うか。当たり前という言葉をおごって、何もしていないからか。不思議なもので、慎ましく生きていると、ちょっとした刺激が欲しくなる。自然の摂理のなのか、ねじ曲がった本能なのか。今の僕には分からないけれど、富も名声も持ち合わせている人間、客観的に見て幸せだと定義できる人間が、例えば浮気するという刺激に溺れてしまうことがある。経験したことはないし、経験することもないだろうけれど、世間には、そんな話題が面倒なくらいに溢れている。
 安定が及ぼす悪影響。等身大の自分からかけ離れたい、こういう人間でもあるんだと悪ぶる中学生みたいな思春期みたいな心持ちが捨てられないからだろうか。それとも満足というコップが満ち足りなくて、それを埋めるための方法論なのか。
 刺激は成長と誰かが言った。確かにそうだ。でもそれは自分が求める何かを得るため、必要に応じて選んだものに通じる言語であって、きっと満足とは距離がある。満足すること、幸せになることで失われることがあると耳にタコができるくらいに見聞きしたことが、心に根を張っているのかもしれない。
「あれ、オレ、幸せなのか? 違うのか?」
 場面転換が忙しない駄作の小説みたいに切り替わる考え。声を掛けられただけで恋に落ちる偏差値低めの恋愛小説の主人公かと自嘲する。変わらないことは怖いから。これも誰かが言ってたな。怖いのかも知れないけれど、それ以上に居心地が良い。それに尽きる。多少の諸問題はそれこそ刺激だよな。誰かとの関係性に言及してみると、ちょっとばかり変化が生じる。
 例えば、想いを告げることで関係性は劇的に変わる。遠ざかるかもしれないし、近づくかもしれない。でもそれは早かれ遅かれやってくることを僕は人生で嫌というくらいに味わってきた。親友が友人になり、友人が知人になり、そして顔見知りや忘却の彼方の先で見ず知らずの人になることを。
 変化を嫌うのが早かったのは、恐らく駆け足で大人になろうとした。大人になれば迷わないと信じていたからだ。株のディレーダーのように瞬時の判断で事を自信を持って選択して、最善の一手で人生を進められているよいに見えた大人。
 でもあの頃、憧れていた大人という年齢に立ってみて、全ては諦めと妥協の賜物であったことを突きつけられる。
 等身大の自分を忘れるくらいに演じて生きてみたし、情けなくてみっともない姿を卑下してみたけれど、どちらも等身大の自分から距離を開けているという点では同じだった。完全に迷子だ、それも砂漠か海に投げ出されたくらいに。
 メモに書き出した結果、僕はかなり中途半端で面倒な場所にいることを知った。思わずため息がこぼれ出たのは、その証明だった。ペンを走らせていた手を止めて、頭を垂れた。上を見ないあたり、悲観主義なんだろうな。そして向上心がないと思った。何を向上させればいいのか、全く分からないのに。
 次第に考え方は悪しき方向に進んでいく。誰かに甘えたいと。温かで柔らかな身体に身を預けて、自分は自分でよいと肯定でもされたいと。それはあまりに傲慢で他人を物として考えているようで、吐き気が襲ってきた。二日酔いよりもキツい吐き気だった。
 僕は知っている。オールマイティーで自分を維持する気質がないことを。できないことが多くて、できることが少ないことを。きっと何年も同じ事で悩むことがない奴はオールマイティの素質がある。或いは自分のできることとできないことを分別して、できることに尽力できる。そうか、僕は頭では分かっているつもりでも無意識でオールマイティを追っているのか。何でもできると思い込んでいる節が頭を悩ませているのか。
「根拠のない自信に溺れた厨二病かよ」
 強い嫌悪感と共に吐き出した言葉は、料理人が毎日か欠かさず手入れしている包丁のように鋭くて、無自覚で自分自身を切り裂く。全身は見えない血で塗れていく気がした。
「一種の自傷行動か」
 力ないか細い声が部屋に埋もれていく。
「リストカットは死にたくて行うんじゃない。大多数は今の自分が死にたくなるくらいに嫌いで、だからこそ自分を傷つけることで変わると思っているんだ。輪廻転生みたいに。本当は死にたくないんだよ。可能性を信じているから。変えたいと思っているからやっちまうんだ。勿論、手首を切れば死んで苦しみから解放されると思ってる奴も構って欲しいというミュウヒハウゼン症候群みたいな奴もいるけどさ。今の医療は侮れねぇからな。すぐに助けちまう」
 手首に躊躇い傷を何本も刻んだ友人が酔った勢いで話していた飲み会の風景が広がった。あれは何年前だったかな。確か頭がパンクするくらいに悩んでて、苦しくて不用意に「死にてぇ」と言っちまった時だ。あの時のアイツの目、さみしそうだったな。そういえばアイツ、めちゃくちゃ酒好きでヘビースモーカーだったな。手首を傷つける代わりに内部を傷つける選択をしたのか。
 僕はタバコを吸うし、酒も飲むけれど、そんな意識はなかった。躊躇い傷を付けられるほどの勇気もなかった。でも手首の代わりに答えのない設問を問いかけることで心身とも追い込んでいる点では、精神的な自傷行動だった。何より自分のことを否定することで苦しみを味わっていた。
「オレは、変わりたいのか?」
 今もそうだけれど自分自身を認めることができない。理想と現実の差が甲子園常連校と弱小公立校が対戦した試合みたいな目を背けたくなる得点差ということも要因だろう。あとは漠然と取り返しの付かない土が付く気がした。
 負けない方法は戦わないこと。分かっていたからこそ先人が残した無敵の勝負論を用いたのか。そして勝負せずに負けない自分に酔っていたのかと疑った。でも肌感覚で違うと思った。勿論、負けたくない。だけどそれ以上に小さな負けに慣れすぎたのだ。躓いたままでも人生は進んでいくし、きっと忘れると。信じていた神話は嘘だっただけの話。負けすぎて感覚がおかしくなっているのだ、緩んだネジみたいに。
 そもそも誰に負けたくないんだ?
 思い返せば人生は負けっぱなしだからこそ、染みついた負け犬根性が幸せや満足を手にすることを許さないのだ。そして認められないのだ。
「文才もなくて、女性を魅了できない太宰治か」
 無意識で本棚を見つめる。本棚には古今問わず多くの小説が収納されていて、見つけ出すのも骨だった。臭い物に蓋をするように本棚の奥に押し込まれたボロボロの文庫本を手に取った。
「思えば恥の多い生涯を送ってきました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」
 大場葉蔵の第一の手記の冒頭を読み返す。より深い沼に足を取られることを承知しながら。今の僕は等身大の自分に満足することすら恐れている。きっと幸せはバラのように注意して持たないと自分自身を傷つけるようで、どうやら人生のおいてのバラの持ち方を知る必要性があるみたいだ。やれやれ、長い道のりだな。僕は自分についての考察をより考えるようになった時からの付き合いであるタバコに火を点した。
 僕にはドラマや小説のような過去はない。ただ、変わる機会はある。
 あとは選択の問題だ。逃げて負けない人生には真綿でゆっくりと首を絞められるように苦しくなっていく効力がある。気付いた時には遅いかもしれない。それでも何かを変えたい。絶望に似た辺鄙な場所に佇みながらも光の差し込む場所を求める自分がいる。
「あぁ、この感情が等身大の自分か……」

文責 朝比奈 ケイスケ
 

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