忘れ物【ショート・ショート48】

 スマホで連絡を入れても反応が無くて、イライラしながら控え室を歩き回る。こういう時、歩幅は正直に感情を映し出す。普段からいなくなることは多かったが、今日は大舞台。嫌な予感が胸をよぎった。
 地図を参考にして歩き回ったことで、このフロアのことは一頻り頭に入ってしまった。どうでもいい情報が脳内を汚染し、大切なものが抜け落ちていくようだ。これで十回目の発信、相変わらず虚しい発信音が耳元に届く。しばらくして電話を切り、LINEを確認する。何度も送った緑色に染まったメッセージが羅列しているが、未読のまま。諦め混じりのため息を吐き出す。そして胸ポケットとジーンズのポケットをまさぐる。不意にタバコが吸いたくなった。
 そのとき、脳裏に浮かんだ映像。僕は架け橋で非常階段を駆け上がる。まるで今に至るまでの軌跡を踏みしめるように。
 僕らがデビューしたのは、十五年前。きっかけは年末に開催される大型のコンテストでかつてない下克上を起こし方からだった。
 十年未満の芸人が出場を許される、一夜で人生が変わる舞台。そして幾多の化け物達が、暴れ回り、笑いを起こす舞台。ライブシーンで活躍していてもテレビに出ることの無かった化け物を世に放つ為の企画は、回を重ねる度に認知度を得ていた。最年少コンビとして出場したが、準決勝で敗退した。けれど準決勝出場者には一筋の光、蜘蛛の糸があった。冬の競馬場という地獄のステージで勝ち抜けた一組だけが敗者復活という形で煌びやかな舞台に立つ権利を得ることができるのだ。僕らは勝負の一本を書き上げて、四分という持ち時間を自分の力だけを信じて言葉を交わした。
 あの夜、栄冠を掴むことはできなかった。でも人生が変わった。あれから十年、本当にやりたいことを押さえ込んで、やりたくないことに全力を尽くした。そして今も芸能の世界で生き残っている。
 今までの歩みを回顧しているうちに、劇場の非常階段の一番上までやってきてしまった。屋上に出るための扉は施錠が解かれている。ゆっくりと扉を押した。室外機ばかりが並ぶスペースを抜けると、手すりに身体を預けてタバコを吸うアイツがいた。
「お前、何してんだよ?」
 口から出た言葉には予想以上の怒気が含まれていた。
「おう、やっと来たか」
 アイツは待ちくたびれたと言わんばかりの表情を浮かべながら、煙を吐き出した。
「やっと来たか、ってなんだよ。お前、今の状況分かってんのか?」
「勿論。だからこそ、お前の連絡を無視してたんだけど?」
「はぁ?」
 何言ってんだ。僕の心情を知ってか知らずか、アイツは苦笑しながら、ポケットからジッポライターを僕に向かって放る。ゆるやかな放物線の描いたジッポライターを受け止めるように右手を伸ばして、掴んだ。
「まぁタバコ吸おうぜ」
 アイツの言葉に乗ることは気乗りしなかったが、タバコを吸いたい衝動には勝てず、胸ポケットからタバコの箱を取り出して、アイツが放ったジッポライターで火を点した。煙を吐き出してからジッポライターを投げ返そうと思って、右手を見つめた。ボロボロになったジッポライターには見覚えがあって、同時にアイツの意図をおぼろげに掴んでしまった。そうか、そういうことか。
「オレら、ちゃんと走ってたかな?」
 アイツは普段のおちゃらけた口調とは異なる低い声で問いかける。
「走ったから、今があるんじゃないの?」
「お前はさ、この十年楽しかった?」
 返事に困る問いだ。
「オレはさ、楽しかったけど物足りなかっただよな。そりゃ有名になったし、レギュラーはあるし、金もあの頃に比べたら恐ろしいほど手元にあるし、芸能人と色恋なんてのもあったさ。でもな、どこかで満たされない気持ちがあったんだよな」
「言っていることは分からなくないよ」
「今日さ、この場所に来てたりないもんが分かったんだよ」
「なんだよ」
 沈黙に差し込む室外機の音と街の喧騒が、むず痒い。言いたいことが分かってしまう分、僕はどうすればいいのかを迷った。
「お前は今の状況で満足してるのか?」
「それは仕方が無いことじゃないか? 戦う場所が変わったんだ。そして僕は、もう夢は見ないって決めたんだ」
「オレらが売れたのは間違いなくお前のおかげだ。相方もその事実は分かってる」
「じゃあ、それ以上何も言わないでくれ。オレは退いたんだ」
「お前と漫才がしたい」
 心の奥底にしまい込んだ感情が溢れ出そうになる。将来設計では、この場所に僕とアイツのコンビで立つはず予定だった。でもアイツのスキルについて行けない自分自身の力不足を自覚していた。だからこそ、幼なじみで組んだコンビを解消し、養成所で一番上手いツッコミであるアイツの現在の相方を紹介して半ば強引に組ませた。結果的にアイツらはスターダムを駆け上がっていき、僕は二人の放送作家として影で生きることになった。
 後悔がないとは言い切れない。ただ、有望な人間を一緒に泥船に乗せておくことは許せなかった。右手を強く握る。
『面白い奴は光を浴びるべき。これ貸してやるから、目の前が真っ暗なら火を点して進むべき道を探せ』
 十三年前、アイツとの最後のライブを終えた後に青臭い言葉と共に貸したジッポライターが右手の中で主張する。
「オレにはもうそのジッポライターが無くても道を明るくする方法は見つかった。だから返す。今度は自分の進むべき道を照らせよ」
 アイツは短くなったタバコを床に落として、靴で火を消した。
「持ち時間は四分。オレらがあるのは、お前のおかげだ。その気持ちは相方も同じで、オレの提案を快諾してくれた。というか、いつかこの日が来ることを二人で待ってた。だから今日のライブ、トリ前の板の上にオレと一緒に立って欲しい」
「オレが退いて何年経ってると思ってんだ? 無理だ」
「このままだとオレが後悔する。最近、あの日の舞台のことばかり思い出すんだ。お前がオチで噛まなかったら、優勝してただろうなって。んで、お前は引退を口にした。オレが悔しいと思うんだから、お前は言葉にできないくらい悔しかったはずだ。結果的にサンパチマイクから背を向けたんだ。オレでは想像できないくらい悩んだろうし、苦しんだと思う。だからこそ、ちゃんと供養しておきたい。十年経って、オレらも単独ライブできるようになったし、少しのわがままなら聞いてもらえるようにもなった。十年の節目、オレらが今よりも上に行けるように力を貸してくれ」
 アイツは柄にもなく頭を下げた。
「気持ちは嬉しい。でも立てない。オレはもう素人同然だ。客の前に立つ資格はない」
「それはお前が勝手に思い込んでることだ。今だってネタ合わせでオレらの相手をしている。それに相方も言ってたぞ。お前のスキルは錆びてない」
 否定の言葉が頭の中を踊る。どの言葉を選べばいいか、悩んでしまうほど莫大の量の言葉が。でも本心は別の所にあった。
 もう素直になっていいのか?
「ネタは優勝を逃したあのネタだ。お互い、ちゃんと供養しようぜ」
 感情が理性を越えた。気付けば僕は頷いていた。
「んじゃ、合わせるか」
 あの頃から変わらないアイツの常套句。青春に忘れてきた後悔を取り返す機会がやってくるなんて思いもしなかったけれど、この夜のことを僕は絶対に忘れないと思った。

文責 朝比奈ケイスケ

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