休前日の夜に①【ショート・ショート46】

 午後7時半。街は少し浮かれ調子だ。一般的に週末の仕事終わりは、明日からの休みにそれぞれの思いを馳せる。当たり前だ。会社や仕事から離脱でき、やりたいこと好きなことに全力を注げる、自分を偽らずに過ごせるのだから。たった48時間。でも勤労至上主義である日本では貴重な時間だ。この感覚は麻痺しているのか、洗脳されているのか、そんなことは分からないし、理解したくもない。ただ、一種の自由を得る時間というものは、命と同じように同等なのだ。
 タバコに火を点して、幾ばくの時間が過ぎた。半分が灰になり、毒々しい煙で溢れる閉鎖空間にようやく慣れてきた。喫煙所の入れ替わりは激しく、一緒のタイミングで火を点けた同士の姿はない。疲れ切った表情を浮かべる名も知らぬ労働者を見つめ、自分も同じように周りに見られているのだろうとくだらないことを抱きながら、腕に巻いた時計を確認する。予定時間にはまだ15分あるが、胸の高鳴りは止むどころか、激しくなっていく。そのうち心臓が肋骨や皮膚を貫き、グロテスクな姿が露出してしまうのではないかと不安になる。あり得ない展開を描くのは、彼女のせいだ。おもむろにスマートフォンをポケットから取り出す。慣れた手つきでメッセージアプリを起動させる。一番上に表示されるアカウントから届いた言葉のせいで、今日一日揺さぶれている。
「今夜、時間作れないかな?」
 簡潔で明確な文章。その飾らなさは、普段見る彼女の姿とは乖離しており、知らない一面を知ったかのような特別感は格別だ。同期であり、社内の高嶺の花からのお誘いとなれば、拒否する方が狂っている。すぐさま返信し、今夜のデートを決定づけた。女性から誘われるなんていつ振りだろうか。思い出すのも面倒な過去を回想しているうちにスマートフォンが震える。
「今から会社を出ます。さっき伝えた場所で合流ね」
 その文章を追い掛けるかのような速度で、可愛らしいスタンプが届いた。今の状況であれば、すれ違いざまに肩をぶつけられても笑って許せる余裕がある。喫煙所にいる誰よりもオレは恵まれている。その自負を抱き、更に短くなったタバコを吸い、煙を吐き出した。
 優雅なダンスを舞うバレリーナのような華麗なステップで、オフィス街に根を張った鬱屈とした楽園を後にした。歩いていると車の走行音、クラクション、誰も聞いていない選挙演説、電車が過ぎ去る耳障りな音が聞こえるが、今のオレには球児を応援する吹奏楽の演奏のように前向きに捉えることができる。まだまだガキの部分が大半を占めているなと自嘲しながら、目的地へと繋がるコンクリートを噛み締めるように進んだ。

 文責 朝比奈ケイスケ

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