5月8日(金)の戯言。

ゴールデンウィークも過ぎてしまった。
桜から新緑へのグラデーションが
例年以上に薄い日々だ。
世間はコロナ、コロナと連日報道され
一定の隔離の中で生活を営んでいる。
仕事と部屋、ときどきスーパーやコンビニへの往復。
自粛という名の強制力が発揮されている中で
普段と変わらない日常を過ごすのは
かなり前から自粛生活をしていたのだと
改めて自覚的になる。
それでもフェス、ライブ、野球観戦、BBQの
楽しみにしていた予定は流れてしまった。
また恐らく来月のゲスの極み乙女のライブも
流れてしまうのだろうなと思うと
久しい活力に溢れていた日々は遠い昔にすら
感じてしまうから、不思議だったりもする。
でも、イベントを差し引いてしまえば
恐ろしいほど変わり映えのないから
何とも言えないけれども。
仕事に殆どの時間を費やして
空いた時間で掌編小説や140文字小説を
書いたり投稿している。
或いは読書かネットの海を航海。
お供はラジオで、番組のスケジュール調整に
頭を悩ませていたりもする。
通勤時間が短くなったこともあって
以前なら通勤中に聴いて空いた時間で
聴けていた番組が聴けなくなっている。
これは由々しき事態だ。
そんな個人の楽しみで頭を悩ますのは
ある意味では幸せなんだろうな、とも思う。
そんな中で、今、考えていることがある。
どうやったら自分の作品を読んでもらえるか。
シンプルであり、明確な問題提起。
この問題について考えてしまうのは
最近、欲が生まれてきているからだろうな。
読んでもらって、長所、短所、改善点などを
求めている本音が自然と表面化する。
いい傾向なんだとは思うけれど
ダンコなる決意ってのが、できていないらしい。
どうしたら読んでもらえるのか。
たりない頭で考えてみるけれども
袋小路に迷い込む状況が続いてしまう。
面白い=勝手に読んでもらえる。
故に今書いているものは面白くない。
簡潔な方程式にたどり着いてしまう。
じゃあ紙媒体にするか、と考えるけれど
そこは完ぺき主義が邪魔をする。
面倒な性格だな、とか思う。
一応、浮かんだ案はあるから
それは同時並行してみようと考えつつ
現状として書く以外の方法論は見当たらず
時間を見つけては浮かぶ案を文字化している。
恐らく「好き」で処理をすればいいけれども
欲が出ているからこそ、悩んでしまう。
本質的にこの形でも良いと感じているのだろう。
そこに対して、いや人生の大半を踏まえると
目標が明確じゃないことが尾を引いている。
パブリックコメットメントみたいな方法は苦手で
不言不実行と共存することへの嫌悪感がある。
試行回数がたりなくて、経験値がないのは
誰よりも承知しているし、理解もしている。
それでいて人生を省エネで生きている節があって
面倒なことを避けてきたきらいもあったりする。
別に責めるつもりはないし、今後の未来において
楽しみになる因子が多いと転換しているけれど。
(学生時代、縁遠かったライブなんかが良い例)
今の歳になってやっておけばよかった後悔を
反芻することは多いけれども
やらなかったからこそ今があるのも事実。
選択に正解はない。正解にする活き方を
歩めているか否かの問題であり
その部分に目を向けていなかった。
反省点であり、真摯に受け止めなければと思う。
ダンコなる決意ができるには時間が掛かりそうだ。

文責 朝比奈ケイスケ

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