グラウンドの中心を見つめて①【ショート・ショート38】

 亮太が奏多と出会ったのは、九歳の春。
 教室で見ていた時の彼の印象は、何ともいけ好かない奴だと思っていた。でもグラウンドで見た印象は、それとは大きく異なっていた。今思えば、単純な嫉妬。好きとか付き合うとかいう概念が乏しい、けれど幼く淡い恋心を抱いていたかおりちゃんが、奏多のことを好きだという話題が教室の中で広がっていた。
 本当か嘘かは分からなかったけれど、そのことが亮太は気に入らなかった。生まれて初めて同級生に向いた嫉妬。だからこそ憎しみとは言えない拙い感情が一気に話題の同級生、特に接点のないクラスメイトだった奏多へと向いただけだった。
「今日から、タートルズに入ることになった、さとうかなたです。よろしくお願いします」
  雲一つない青空の土曜日。亮太は野球日和な一日だと思っていた。グローブやスパイク、バットの準備をしながら練習前のミーティングのために砂埃が立つくらい滑らかな砂が敷き詰められた小学校の校庭にいた。何故かクラスメイト、気に入らない佐藤奏多がいることに亮太は怪訝な顔になる。ミーティングの前に新入団選手として奏多が紹介された。奏多は簡潔な自己紹介をして深々と頭を下げる。亮太はチームメイトが一列に並んでいる一番端で、その様子を眺めていた。初めて芽生えた嫌悪感を抱きながら。
「三年生だと、亮太か。亮太、仲良くしろよ」
 不意に監督に言われて、ドギマギした。挨拶も終わり、練習が始まる。チームメイトたちが練習に向けての準備を始める動きに準じた。何も分からない奏多はそっと亮太の前にやってきた。
「知ってると思うけど、改めてよろしく。しむらくん」
差し出すように伸びた右手は握手を求めているようだった。
「よろしくな。さとう」
「かなたでいいよ」
「そしたら、オレもりょうたでいい」
 奏多が差し出した右手に条件反射で亮太は左手を伸ばし、握手をした。
 なんで、あんな風にしたのかは分からなかった。こうした形での握手は初体験だった亮太は、抱いていた嫌悪感が消え去っていることに気付いた。なんだか面白いことが起きそうな、そんな漠然とした期待を無意識で感じ取ったのかもしれない。
 奏多が入団してからは、どちらから言うでもなく一緒にいた。小学生の頃を思い出したら、必ず奏多が横にいる記憶ばかりが蘇る。それくらい多くの時間を共有していた。
 そのきっかけになったのは、公式戦の二週間前。五年生以下の選手で構成する大会の二週間前に、よくある事件は起きた。
「ゴメン、オレ引っ越しちゃうから辞めんだ。だから次の試合ってか大会には出れない」
 チームを辞める宣言をした五年生の川端は、昨今の梅雨のようにチームを去った。親の転勤で引っ越すからチームを辞める。少年野球に限らず、何かに属しているのであればよくある展開だった。しかし、大会前にあまりにも唐突にエースであり仲の良かった友達を失うこと、それ以外の理由もあったが亮太にとって大きな出来事だった。人生で初めて体験する別れに、その話を聞いた練習終了後、誰にも見られない場所で思わず泣いてしまった。
「大丈夫か、りょうた」
 帰ったと思っていた奏多の声がした。顔を上げると水色のユニフォームを泥だらけにした姿で、目の前に立っていた。
「なんでいんだよ?」
 思った以上の怒気を含んだ言葉で奏多に八つ当たりをするように怒鳴った。同時に手首まで伸びていた青いアンダーシャツで目の辺りを必死にこすった。別れの涙を奏多に見られないように。
「りょうた、なんか変だと思って」
 目線を逸らす奏多に、言葉にできない優しさを見た気がした。
「ともゆきくん、辞めるんだって」
「うん、言ってたね」
「試合、どうすんだよ?」
「別れが、辛くて泣いてたんじゃないんだ?」
「なわけないだろ。試合だよ、試合」
  核心に迫る奏多の言葉を否定するように、強がり誤魔化した。すると、奏多は表情を緩めて笑顔になっていく。
「何笑ってんだよ?」
「いや、別れが辛いんだったらさ、何もできないけど。試合なら何とかなるよ」
「なんでだよ?」
「オレがいるからさ」
「はぁ?」
 全く考えてもいない言葉に、面喰った。何を言ってんだ、コイツは、と。
「オレが投げるからさ、それでりょうたが捕ってくれ」
「お前に出来るわけないじゃん。監督には、どう説明するんだよ?」
「説明って……、明日実力で認めさせるからさ」
「はぁ? 何言ってんの?」
「オレさ、ずっとピッチャーやってみたかったんだよね」
 奏多の顔は目を赤くして泣いていた亮太と顔とは対照的に笑顔だ。
「お前、出来ると思ってんの?」
「思ってるよ?だってりょうたが練習付き合ってくれるでしょ?」
「なんで、オレが付き合うんだよ」
「こんなことは言いたくないけどさ、他にピッチャーできるのりょうたしかいないじゃん。でもりょうたの球を受けられるキャッチャーいなくない?」
「そうかもしれないけど……」
  頭の中で、チームメイトの顔が浮かぶ。ピッチャーもしくはキャッチャーという物差しで考えていくと、奏多の言う通り、奏多しか残らなかった。
「じゃあ、今から練習しよう」
 奏多は、言葉だけを残して、校庭へと向かって歩き出した。別れは辛かったけど、奏多と一緒に練習をすれば、なんだか別れの辛さが消えるような気が自然と込み上げてくる。亮太は奏多を追いかけ校庭に向かって小走りで進んだ。さっきまでの悲しみは、どこかウソみたいに忘れていた。小学生の盲目さは、感情では測れないほどに無垢だ。
 二週間後、ピッチャーにコンバートした奏多は、マウンドの上で呆然と立ち尽くしていた。目には、決して流れない涙を溜め込みながら。
  奏多の暴投から始まった負の連鎖で気付けば十三点も取られて敗退した。
 試合の反省をして片づけをしている時には奏多の姿が見当たらなかった。亮太は直感である場所へと向かった。亮太がそうしたように校舎の奥で一人下を向きながら、しゃがんでいる奏多を見つけた。言葉を掛けるか迷ったが、あの時奏多がそうしたように、亮太も声を掛ける。
「かなた、負けたな」
  獲物を睨むような鋭い眼光で睨まれた。涙で充血した眼は、小学生でも分かるほどの怖い雰囲気が奏多を包んでいて恐ろしかった。
「これで決まったよ」
 尻ごみをしそうになるのを必死に堪えて、亮太は言った。
「何がだよ?」
 見たことのない表情で、強気な言葉。初めて、佐藤奏多という人間の本質に触れた気がした。
「これで、これからのオレの相棒が決まったよ。頼むぞ、かなた。オレが奏多の為にできることは全部やってやる」
「こんなにボコボコにされてる奴、もうピッチャーなんかできないよ」
「だからだよ。だからこそ、やり返そうぜ」
  奏多は、呆れたように力なく笑っている。けれど頬を緩めていくのが分かる。
「げこくじょうだ」
ドラマ仕立てで歴史を振り返るテレビ番組で流れていた織田信長特集の中で、印象に残った言葉が、自然と口からこぼれた。
「げこくじょう?」
「そう、げこくじょう」
「何それ?」
「力の下の奴が、力の上の奴にやり返すって意味」
「そうなんだ……」
 それ以上、奏多は会話を続けなかった。無言のまま静かに立ち上がり、カバンの中からグローブと軟球を取り出した。亮太には、それが何を意味するのか、すぐに分かった。同じように背負っていたカバンを下して、キャッチャーミットを取り出した。
「げこくじょう」
「げこくじょう」
  亮太と奏多は、日本では誰もが知っている歴史上最悪の悪役と言われる人物の代名詞の言葉を繰り返して、グラウンドへと走り出した。

文責 朝比奈ケイスケ

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