本の香り、偽りの想い【ショート・ショート32】

 本の香りが嗅覚を刺激する。綺麗に陳列された本の背表紙が視覚を刺激する。お客さんが捲るページの音が聴覚を刺激する。そしてこの場所は、僕にとってのディズニーランドだと改めて自覚する。本の入れ替えは、そのことをハッキリと感じる大好きな時間。ただ、今日は少し印象が異なる。多分、社員が口にした暢気な一言のせいだ。
 棚卸しのために手に持った新品の小説を本棚に収めながら、社員に課された宿題について考えを巡らせていた。頭に浮かぶ単語を拾おうとするが、風呂場に浮かぶ湯気のように掴めない。傑作だと思った文章は、まるで最初から無かったような顔をしてあざ笑う。イライラするが、このままこだわっていても仕方が無いので、ありふれた言葉を使って文章を構成してみる。出来上がるのは見事なまでに陳腐な小学生の作文だ。自分の才能の無さに呆れてしまうし、面白かった小説を殺してしまうようで、罪悪感のようなものを抱き始めていた。
 本棚から抜き出した小説をカートに置き、次の場所へと向かおうとした。
「すみません」
 申し訳なさと凜とした、それでいて柔らかな女性の声が聞こえた。本の山を乗せたカートを止めて振り返ると、紺色の白いシャツの上にロングカーディガンを羽織る中年女性が立っていた。手に持っている傘からは、高級というか育ちの良さ、或いは品の良さを感じさせた。文庫本が無数に収納された本棚をバックにしているからか、聡明さすら感じさせる佇まいだ。少し緊張した。恐らくパーカーやポロシャツばかりを着ている母親と比べてしまったからだろう。
「なんでしょうか?」
 穏やかな声を意識して答えた。
「小説を探しているのですが、見つからなくて・・・・・・」
「タイトルか作家の名前は分かりますか?」
「いえ、それが分からなくて・・・・・・」
 困った表情を浮かべる彼女を見ていると、高校時代の後輩の顔が不意に浮かんだ。接点はほぼ無かったから不思議だった。
「そういうことですね。内容は分かりますか?」
 頭に浮かんだ後輩のことを飲み込み、目の前の女性に何ができるかを考えた結果の発言だった。本屋で働いているとタイトルも作家も分からないで買い物に来るお客さんは少なくない。大抵の場合、ドラマか映画の原作になっている小説を探していることが多い。映像化になる際に、タイトルが変更になってしまい、買いたい小説を見つけられずに本で埋め尽くされたフロアで迷子になってしまうのだろう。今回もそうした理由だとタカを括って訊いた。安い時給の本屋で働くくらい本には思い入れがあったし、それと同じくらいのドラマフリークの自負が僕にはあって、脳内では今クールで放送されているドラマの原作小説のタイトルが幾つか浮かんでいた。
「それが内容も分からないんです」
 彼女の弱々しい声に戸惑った。その後、高校が舞台というヒントだけを得たが、無数にある小説の中から正解を探すなど、宝くじが当たるよりも確率は低い。そもそも探している小説が、店頭に並んでいない可能性もあるのだ。そしてそのことを彼女も理解しているようで、ダメ元で僕に聞いていることは明白だった。
「どういうことでしょうか?」
「娘からオススメされた小説なんですが、タイトルをメモした紙を無くしてしまって。これだけでは分からないですよね?」
「すみません。正直、そうですね。他に何か分からないですか?」
「小説については何も。ただ、昨日の王様のブランチを見ている時に娘が言っていたんですよ。確か、本を紹介するコーナーだったのに、急に若い男女が踊り始めていて・・・・・・」
 こんな情報じゃ分からないですよね、と無茶な質問をしてしまったことを誤魔化すかのように微笑を浮かべた。
 彼女の顔を見ながら頭の中では、光ファイバーさながらの速度で情報を整理し始める。脳内の検索バーに若い男女が踊る、高校が舞台などの単語を打ち込む。プロファイリングで使われるホワイトボードが浮かび、情報が相関図のように刻まれていく。高校が舞台となるとすれば恋愛系か青春系、或いはミステリになるだろう。そして若い男女が踊っているとなると、作家自身も若い男女。最近、テレビでもフューチャーされている若い作家で高校を舞台にした小説を書いたの彼しかいない。
 時間にして三十秒も経っていない間に自信のある答えに辿り着いた。これが彼女の言っている小説であるかは定かではないが、間違いないだろう。
「正解か分かりませんが、かなり近い作家とタイトルは浮かびましたので、その小説が置いてある場所までご案内します」
 そう言って脳内で導き出した作家の名前を頼りに歩を進めた。彼女も僕に倣うように歩き始めた。
 単行本のコーナーは、文庫本コーナーとは真逆の位置に設けられている。何故、こんな作りにしているのかは分からないが、単行本コーナーに向かうまでの間に、出版社別に分けられた本棚を抜けていく。平積みされた小説には、蛍光ペンで彩りを加えた鮮やかなものや図太い文字だけでシンプルに綴られたものなど数種類のPOPが幾つも立てられている。
 後ろを歩いていたはずの彼女はいつの間にか横を歩いていたことに驚いたが、不意に立ち止まり平積みされた本に目線を移してから、僕に問いかけたことに更に驚いてしまった。
「あの質問をしてもよろしいでしょうか?」
「はい。なんでしょうか?」
 営業スマイルで応対する。今の姿を大学の友達に見られたら、全力で笑われる気がした。それくらい大学と本屋では表情が違う。
「先ほどから、本の並んでいる場所にとても印象的な感想文のようなものがあるのですが、これは一体なんでしょうか?」
 ある小説を紹介するPOPに目線を送りながら、即座に返答する。
「これはですね、POPと言いまして。本を宣伝するためにその本に相応しいキャッチコピーなどを書いた紙なんですよ。POPの力で埋もれていた名作が世に広がったこともあるんですよ」
 自分らしくない明るめの声のトーンだった。本やドラマなどの自分の好きなことについて饒舌になる自分について、俯瞰して自虐することを辞め、むしろ肯定するようになってから、接客が楽になった。この場所では自分の好きなことが武器になる。ここで接客を重ねて知ったことだった。まさに目から鱗の経験だ。
「そうなんですね。なんだか図書店員さんの想いが伝わる素敵なPOPですね。図書店員さんの本への愛情が伝わりますし、その人の想いを映し出す鏡みたいですね」
 彼女は優しい笑顔で呟いた。その言葉が、陳腐だけれどもすごく嬉しかった。
「ありがとうございます」
 自然と頭を下げていた。無意識の行動に僕自身も驚いたが、それ以上に彼女の方が驚いたようだった。
「あなたの書いたPOPもあるのでしょうか?」
 好きな女の子と話すよりも鼓動が速くなるのを感じる。彼女の口ぶりを踏まえると、僕の想いを込めた鏡に興味を抱いているようだ。ヤバい。その三文字の言葉が脳内で跳ねた。
「えぇ。一応書かせてもらったことはあります」
 歯切れが悪い。さっきまでの饒舌さが影を潜めていた。
「どちらにあるのでしょうか?」
 もう逃げられない。観念して、僕が書いたPOPのある場所へと案内することにした。
「こちらになります」
 張りぼての文章を書いたPOPを自信ない表情で指差して伝えた。彼女は何も言うことなく、ただ文章を読んで小さく頷いた。そして紹介した小説を手に取る。
「この小説も読んでみますね」
「ありがとうございます」
「それと、あの……」
「はい」
 嫌な予感はしていた。この文章に自信なんてなかったし、突貫工事で紡いだ言葉に嫌悪感を抱いていたからだ。
「こんなことを本屋さんに疎い私が言うのは如何なものかとは思いますけれど、よろしいでしょうか?」
 僕は黙って頷き、次の言葉を待った。
「あなたとは、ちょっとの時間しかお話をしていないので、偉そうに聞こえるかもしれませんが、もっとあなたの気持ちに正直になったらと思ってしまいました。言葉選びには人の性格が出ますし、恐らく悩まれたんだろうなと推測できます。強い言葉を選択したのには想いの強さもありますが、往々にして自信の無さが隠れていることもありますからね。すみません。こんな見ず知らずのおばさんに言われると嫌な気持ちになってしまいますよね。失礼なのは承知しています。おばさんの戯言だと思って、聞き流してください。ーーでもちゃんと、紹介しようとしている物語と向き合っているのは伝わってきました。あなたは本が本当に好きなんですね」
「いえ、この文章は気に入っていないといいますか、自信を持てるものではなかったので・・・・・・」
「短い時間、あなたとお話しさせて頂いて、少し印象が異なったので、つい。失礼なことを言ってしまって、申し訳ありませんでした」
 彼女は深々と頭を下げた。でもその表情からは、言ってしまった後悔というものは感じることはできなかった。なんだか彼女にも譲れない何かがあるのだろうと漠然と感じた。
「それでは、お探しの小説の場所までご案内いたしますね」
 重くなった空気を換気するように、本来の目的を果たすための言葉を告げた。このまま話をしていると、胸が張り裂けてしまって、泣いてしまう気がした。
 結局、彼女は目的の小説と僕の拙いPOPで紹介した小説を購入して、店を出た。レジを担当したときには、ぎこちなさは解消されていたが、それでも彼女の言葉は胸の中心を打ち抜く矢のように突き刺さったままだった。ただ、悪い気はしなかった。どういう風にPOPを書けばいいのか迷っていた僕にとっては、貴重なヒントだった。今度もし、彼女が来店された時に胸を張って紹介できるものを書かなければならないと気合いが入っていた。どうやら僕には僕にとって譲れないものが存在いることを漠然と知った。

 文責 朝比奈 ケイスケ

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