9月16日の戯言。

気付けば秋になっていた。
最後にエッセイというかブログを
更新したのは3月の話だった。
内容は、オールナイトニッポンで
土曜1時を担当するオードリーの
武道館でのライブの件だった。
なんだか遠い昔に感じてしまう。
あの時は、マフラーを首に巻いて
吐く息が白く着色されるような
寒さにため息をこぼしていたと同時に
頭の悪い座組が導く未来に
心底嫌気が差していたと記憶している。
あれから半年程度が経過しての現在は
予想通りに事態は悪い方向に転がって
「生きているけれど死んでいる状態」を
見事なまでに体現していたと思う。
いや、現在進行形なんですけれども。
そんな半年間、覚えていることは
極めて少なくて、例年以上に
起伏の少ない日々だった。
何より仕事に追われている機会が多く
無意識がごっそり記憶を消している
印象すら抱いてしまう。
半ば強引に記憶を引っ張り出すけれど
約180日間の中で、印象的な日は数少ない。
毎日が同じような時間軸で進んでいて
仮に日々をババ抜きに見立ててしまえば
おおよそ番ができる有り様だ。
意識的ではなく無意識、染み付いた習慣で
身体を動かしているのかもしれない。
心身が限界値に近いとは思わないけれど
何かをすることにひどく億劫になり
動き出しに時間が掛かるようになった。
正直、飲み会やデートする時も
家で寝ていたいなと思うことすらある。
結構ヤバいな、と自覚的になるけれど
抗う術は正直持ち合わせていなくて
むしろ習慣に身を任せていた方が
楽だと感じる節すらある。
あぁ、文字に起こすと片足突っ込んでいるなと
改めて危機感のようなものを抱く。
かつての僕はそうした吐き出す場所に困る
出来事や感情をネットの海に放っていた。
或いは編集して小説に落とし込んでいたけれど
それも今はできないでいる。
これじゃ小説家見習いとか口にできないな。
そんなどうしょうもない僕ですが
先月誕生日を迎え、30歳になった。
大学生の頃、人生の方向性を決める年齢に
設定した歳になったけれども
未だに迷っているから手に負えない。
真剣に考えていた。
でも考えていたつもりになって
本当の意味で考えていなかったのかもしれない。
結果的に知らないうちに好きなことに背を向けて
全く別の方向に歩みを進めていた。
サボっていたとか言えれば
一種の背徳感にでも浸って
襟を正すことはできたかもしれない。
でも正直、それすら面倒に感じるほど
疲れている気がしている。
それを「仕事」とか棲み分けできれば
対策を打つことができるけれども
もっと大枠である「環境」の変化に
上手く乗れていないことが原因の根本。
描いていた将来像を進んでいない葛藤もあるが
それ以上に周囲の変化が眩しく見えるについて
シンプルに飲み込めないことが心身に
多大なる影響を与えているのだろうな。
そんな結果に着地する。
30歳になって、自分自身の信じた物が
薄っぺらなことを突き付けられる。
信念の所在が、見当たらないのだ。
まるで終わりの見えない
長すぎるロスタイムを過ごしているような
居心地の悪さ、恐らく経験値が乏しすぎるのだ。
10年前の自分と比較しても結果は顕著で
変わらないことで染まっている。
結婚、子育てなどの話題が挙がる頃に
僕は暢気に小説を読み漁り
深夜ラジオを聞いて
バッティングセンターに行き
ホームランを打てるようにと
バットを振っているような奴との間に
見えない線が引かれていることに気付く。
言われなくても分かっているけれど
やっぱりその線の向こう側にいる奴や
手前にいる奴が多くて自然と独りを選んでしまう。
線の向こうについては悪態をついているので
正直に言えば憧れを抱いている訳でもない。
ただ、ちょっと自分以外のことを考えてしまったり
単純に色々な感情に疎くなっていることへの
言葉にできないような恐怖心があるのも事実で。
何かをリセットする為に、どこかへ飛びたいと
半ば本気で考えることも増えている。
なんて言えばいいのだろうか。
今まで抱いていた根拠のない自信が
全て見事なまでに折られている。
自信作も一次選考で落ちるし
小説も読める時間が減っているし
野球だってちゃんとやれていない。
この二枚看板が揺らぐと
不安定になるというか歯止めが利かないのが
ある意味、僕の人生でもある。
変な話、中学や高校時代のように
毎日野球をやっていれば
こんなことにはならないだろうし
何も考えずに小説を読んだり書いたりすれば
幾分、マシにはなるのかもしれないと
現実味のない空想を描いてしまう。
今、この時点で何かをしたいという
自発性が抜け落ちている。
自信の無さ、と誰かは言うかもしれないが
何を持って自信と呼ぶのかすら
不透明な状況では、その文言は意味を為さない。
全てが否定形で聞こえる。
好きな芸人が語るヤバいときのエピソードが
頭から離れないのも悪影響なのかもしれない。
もう何をするのにも億劫なのだ、単純に。
これを年齢のせいにするか
疲労のせいにするかは
自分次第ではあるけれども
一つだけ言えることがある。
それは全ての事柄が地続きであり
割り切ったり、適度に収めることが
難しいというパーソナリティーを知る。
最善の一手、揺るぎない一手を打てれば
多分、今の状況にはなっていないのだろう。
それは言ってしまえば
全て中途半端であるという意味。
これで弱みの出し方を知らないから
もう手遅れなのかもしれない。
救いかどうかは判断に困る部分だけれども
理不尽な状況への順応に関しては
高校時代に経験しているからか
幾分、抗体があることで
「生きているけれど死んでいる状態」でも
何とか生きている訳だ。
青春をドブに捨てた成果が今に活きている。
でも過去の亡霊が揺さぶってくるから
結局、悪い方向への影響が強いので
そこについては激しく後悔している。

文責 朝比奈ケイスケ

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