迷い【ショート・ショート21】

死のうと思ったのは
ある意味当然の流れだった。
情動で命を絶つことは愚かだと
分かっていたからこそ
死ぬ理由を求めていた。
それが生きる理由というのは
どこか滑稽に思えるけれど
大場葉蔵よりかはマシだ。
人の少ない電車が駅に着く。
誰かが乗る訳でも
降りる訳でもないのに
プログラム通りに扉は開き
外気が車内に入り込んでくる。
ちょうどいい冷たい風は
少し熱帯びた思考回路と
エアコンで火照った身体を
落ち着けるにはちょうどいい。
「あと二駅か」
誰に言う訳でもない呟きが
機械音しか聞こえない車内に響き
そしてゆっくりと動き出す。
目的地に向けて、前を向いて。
膝の上に置いた文庫本を
手に取ろうとして視線を落とす。
露出した膝小僧は荒れていて
この歳になっても未だに
スカートを選ぶ自分自身の愚かさに
使い果たしたはずのため息がこぼれた。
いつまで女でいるつもりなのだろうか。
心のどこかに残る少女の私が
王子様を待っていると思ったら
猛烈な恥ずかしさが込み上げてきた。
年甲斐もなく夢を見るくらいなら
あぶく銭を支払って私がブレンドした
濃い緑茶割りで酔っぱらいながら
場末のスナックがと暴言を吐いた
おっさんのほうがマシに思えた。
彼らには場末のスナックでも
自分の居場所を確かに作っていて
居座れることができるのだから。
それに比べて私はどうなんだろうか。
「こら、走らない」
女性の声が聞こえると同時に
小学生くらいの子供が目に映った。
私しかいないことをいいことに
運動会の徒競走みたいな速度で走る姿は
純粋さそのものであり、羨ましい。
不意に子供は私の前で止まり、
まるで珍しいものを見ているかのように
輝くつぶらな瞳を向ける。
「お姉ちゃん、元気ないの?」
見た目とは裏腹の舌足らずで
尋ねるから思わず笑ってしまった。
「どうしたの?」
「可愛いから笑っちゃった」
頬が緩んでいる。久し振りだった。
子供は何も言わずに私を見つめる。
死を抱く私には、不釣り合いの眩しさ。
私は座席に置いたカバンを漁り
小分けにされたチョコレートを探した。
「これ、あげる」と言いながら
チョコレートを掴んだ右手を差し出す。
「ありがとうございます」
幼稚園か小学校での教育の成果か
或いは親のしつけがいいのか
分からないけれど、丁寧にお辞儀して
子供は運転席を目指して再び走り出した。
私が視線で追いかけていると
「すみません」と声がした。
さっきの子供の母親だろう。
「いえ、息子さん、可愛いですね」
「ありがとうございます」
母親らしき女性は上品に頷く。
そして何かを言おうとした瞬間に
「ママ」と言って子供が戻ってきた。
「どうしたの?」
私に向けた声とは異なる優しい声だ。
「このお姉さんがチョコくれたの」
「そうなの? ちゃんとお礼言えた?」
「うん。ちゃんと言ったよ。ねぇ、お姉ちゃん?」
女性と目が合ったので、スナックでは見せない
笑顔を咄嗟に作り、頷いた。
「すみません。ありがとうございます」
再び、上品な声に戻った女性は
これまた丁寧に頭を下げた。
「パパが一人だから戻ろうか?」
「うん」
そんなテンプレみたいなやり取りを残し
私の前から去っていった。
苦役列車の中で、見つけた温かさ。
涙が出そうになって、必死に堪えた。
誤魔化すように文庫本を開き
呪文のような表現を読み始める。
大好きだった彼が好きだった純文学は
文学に疎かった私に新たに差した光だった。
その副作用なのか、最近になって
心の柔い部分の存在を知るようになった。
理論武装で固めた弱い姿が
あぶり出されたかのような感覚は
知らない男の前で股を開いていた当初に
抱いた羞恥心によく似ていた。
いつからか慣れてしまって
感じなくなった尊い感情。
壊れた心に染みる彼の笑顔は
もう見ることはできない。
お金の関係、ホテルで過ごす
僅かな時間だけ私は少女に戻れた。
全てが嫌になって、でも死ねなくて
リストカットの代わりに始めたはずなのに
彼はいつも優しく私を抱いてくれた。
少しずつ死んでいた感情が
蘇ってくる気がしたと当時に
客に恋愛感情を抱き始めていることに
気付いてしまった。
だからこそ店を辞めたけど
結局も似たような生活に
戻っているからどうしょうもない。
あの場所に踏み込んだ時から
私は決めていたはずなのに
今も理由を求めて拒んでいる。
でも今日は違う。決意したのだ。
彼の眠る場所で私も眠ることを。
揺るぎない覚悟だったはずなのに
あの子の優しさに触れて心が揺らいでいる。
私は目的地で降ることができずに
そのまま電車に揺られた。
そして彼が言った言葉が聞こえた。
気付けば我慢していた涙が溢れて
嗚咽が誰もいない車内に虚しく響いた。

文責 朝比奈ケイスケ

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