2018年師走も28日、年末の戯言。

クリスマスも終わって
世間は一気に年末モード。
例年通り、世間の流行に乗れず
ひたすら出勤を繰り返す日々。
気付けば、もう六年も同じ景色。
心の奥深くで訴えかけるのは
僕が隠し続ける本音なんだろうか。
年末という言葉を耳にすると
一年を振り返ってしまうけれど
なんだか普遍的な時間を過ごしていて
歳だけ重ねている気がしてならない。
そんな冴えない現実に反発するかのように
不協和音が頭の中で鳴り響く。
色々とあった一年ではあったけれど
思い出すには、ちと骨だったりする。
それだけ中身が薄かったのだろうな。
現実逃避するかのように
「ダイヤのエース」や
「リッチマン・プアウーマン」を
ぼんやりと見ているのは
もはや狂っていると言えるのだろう。

1月
憧れの街、神楽坂で初詣。
楽しさもあったけれど
口にしなかった言葉が
今も宙に浮いている。
大学時代の友人の結婚式に参加し
何かが確実に変わる気がした
横浜の街は、なんだかセピア色。

2月
オードリーのラジオを聴きながら
電車に揺られて、向かった試験会場。
手応えはあったけれど、現実は甘くない。
ファミレスで研修のレポートを
タバコを吸いながら書いていたら
珍しくスマホが鳴って
柄にもなく大いに笑った夕方。
彼はいつだって僕の予想の斜め上に行く。

3月
仕事が忙しくなる中で
時間を縫って足を運んだ三球場。
東京ドームの偉大さを肌で感じた。
菅田将暉のオールナイトニッポンで
「明るい夜の出かけて」のラジオドラマを
聴いた記憶はかなり鮮明に残っている。

4月
歌舞伎町の歓楽街をぼんやりと歩いて
徳永と自分を重ねた帰り道。
年に一度、足を運ぶようになった観劇。
大好きな「火花」の舞台は
ちょっとばかし刺激が強すぎた。

5月
草野球のBBQに参加して
不意に友人から掛けられた言葉が
胸の中に深く刻まれた。
燃え尽きるような一作を書きたくなった。
でも書くことができなかった。

6月
仕事しかしていない。
ゴミのような日々。

7月
仕事で発表する羽目になり
普段着ないスーツを身にまとって
壇上に立った日曜日。
ピーターパンフェスが頭をかすめた。
あれは、確か去年の話だなと
タバコを吸いながら見上げた空は
眩しいほど青くて、涙が出そうになった。

8月
また一つ歳を重ねた。気付けば二十九歳。
友人との壁に気付いた帰り道は
すこしばかり足が重たかった。
そしてプロ野球観戦ダブルヘッダーという
荒業を行なった翌日、二日酔いで
仕事をするのがしんどかった。

9月
草野球に二試合参加して
久し振りにマスク越しの
グラウンドを見て、再確認。
僕は野球が大好きであることを。
そして、あの日ほど守備で貢献した日はない。
友人が仕事を辞めたということで
興味本位で酒を飲んだ夏の記憶は
どこか遠い昔に思えてくる。

10月
恒例となりつつある同期との
オクトーバーフェスト。
雨風が強い曇天の中で
傘を差し伸べる時に
浮かんだ感情は、どこか中学生。
親戚の結婚式に参加するために
特急電車に揺られた夕暮れ時。
長野の寒さに戸惑ったし
当日、親戚一同に言われた言葉に
仲間内と親戚との誤差を抱いた。
そして何かから逃げ出すように
カバン一つで旅に出た滋賀と京都。
静かな新幹線の中で
オードリーのライブ当選を知った。
関西地区のラジオ番組を
片っ端から聴いたこと
人の少ない滋賀の街を自転車で
駆け抜けたことと鴨川で
何かを忘れるように寝そべって
空を眺めたのがハイライトか。
そして最新作になる
「ハイライト」の連載を始める。

11月
チーム結成当初の1・2番コンビで
試合に出て、暴れた昼下がり。
身体が思うように動かなかったのは
年齢が為せる悲しき真実だろう。
そして日米野球でソフトバンク柳田の
サヨナラホームランを現場で見つめ
気付いたら叫んでいたあの夜
僕はまた言葉を飲み込んだ。

12月
仕事を続ける意味を問いかけ始める。
胸にできたささくれを弄ってしまい
出血したかのようなどうしょうもなさを
抱きつつ、添削と執筆を始める。
目標は定まっているのに手が動かないし
休日は死んだように時間を無碍にして
本気で頭を抱え続ける。
「ダイヤのエース」を眺めては
深夜ラジオに耳を傾ける
THEニート的な生活は、終わっている。

気付けばショート・ショートは20作品。
ハイライトは連載終了。
リハビリだった140字小説も手を止める。
リハビリが終わったことで
本腰を入れるという覚悟をした意味もあったし
なんだか惰性になってきたせいで
面白みが抜けてしまったんだろうと
勝手に解釈している。
何より印象的なことは
死んだような休日の姿であり
もはや精神系をやられた患者だと
言われても抵抗できない。
それと読み終えた書籍は30冊弱。
ペースとしては、ちと遅いかな。

手帳を見ながら振り返ってみたけれど
本当に中身が薄いな、と笑ってしまう。
この一年の出来事を搔い摘めば
僕の人生において重要な要素は
誰にも明確に掴めるだろうな。
知らぬ間にいらぬものを精査して
必要なものだけに興味を示し続け
不遇な映像を忘れるように
時間を手放していた気がする。
生きるために仕事をしているけど
活きていない自分に向き合う度に
どうしょうもない葛藤に頭を悩ませる。
方法論で言えば、無限に可能性はある。
でも踏み出さない臆病心が訴えるのは
積み上げてこなかったことへの後悔。
その姿は、自分の部屋によく似ている。
割と綺麗に見えるけれども
要所要所は埃を被り汚くて
目に見えている部分だけを繕っているから。
本音を隠して、体裁良くして、
その先にある目先の利益を優先する
社会に染まる悪しき従順さは
何も持っていないことを嫌でも痛感する。
【僕は、何がしたいのか】
【僕は、何者なのか】
そんなゴールのないレースに参加して
降りることが正解だと分かっているのに
ブレーキの壊れた自転車で
下り坂を走る姿は、滑稽以外の何物でもない。

最近になって色々なことを考えては
ぼんやりと佇んでいることが増えて
自分の中で押し殺したものを数えては
絶望色した世界が全てを飲み込んでいく。
そんな中二病みたいな錯覚に陥っては
抜け出すために、自分なりの処方箋を
(音楽とか映画とかラジオとか小説とか)
服薬しては、現実逃避を繰り返す。
本当に欲しいものは明確に分かっていて
でもそれを手にするには臆病すぎて
結局すべてを投げ出しては
後悔という沼に足を取られる。
その繰り返しに、多分未来はない。
いつかの前夜に込めた想いは
僕の身体をすり抜けて、どこかへ消えた。
吐き出したタバコの煙みたいに
高く上って、そして、広くて青い空に
溶け込んでいくみたいに、一瞬で。
最善の手を探すという最悪の一手を打って
遠くなっていくのは、おかしな話で。
離れているのは、夢か自分か。
満たされないからこそ抗うのに
抗う術が自己嫌悪に向かうスパイラルへと
一直線で向かう愚かなストロングスタイルは
いつからか、自己防衛を超えた気がする。

全世界の人類が総クリエイターの時代に
僕は何をするべきなのか。
誰もが何者かに成りたいが故に
インターネットという現実と仮想が交わう
いびつな空間で声を上げる様子を
冷静な観察者気取りで眺める時点で
一番大事な何かを見失っている気がした。
目の前にある事柄よりもどこか遠くの他人事に
干渉しすぎている節は実感していて。

来年への決意表明なんてしたところで
恐らく何の役にも立たない。
でも行動で表現できたらなんて
青臭いことを思う僕は
劇的な変化を切に求めている気がした。

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