休日の自問自答【ショート・ショート20】

昨日の帰り道に立ち寄った店で
おススメされた期間限定のコーヒー豆を挽く。
電動のコーヒーミルの機械音と
芳しい豆の香りが静かな台所を彩る。
時計は正午になる少し前だ。
ボサボサの髪の毛に無精ひげが生える
全身スエット姿は、絵に描いた休日を表現する。
聞き逃した深夜ラジオも聴いていたから
極めて充実な一日の始まりだった。
挽きたてのブラックコーヒーとスマホを持って
部屋へと移動し、買ったばかりのソファに腰かける。
すりガラスから見える外の様子は灰色で
昨日見た天気予報が当たったことに気付く。
スマホからは深夜らしいパーソナリティの
テンポの良い小気味よいやり取りが流れ
気持ちのよい笑いを誘う。
なんて贅沢な休日なのだろうか。
満足感すら抱く中、コーヒーを啜る。
ちょうどよい苦味が口に広がっていく。
不自由な日々から顔を出す束の間の自由を味わい
テーブルに置いたタバコとライターに手を伸ばし
十年以上慣れ親しんだ動作で火をつける。
吐き出す煙は部屋の天井にぶつかり、拡散していく。
身体はオンが、頭はオフという
いつかに憧れた理想の朝の過ごし方だ。
ぼんやりと壁に沿って並べた本棚を眺め
今日の気分にぴったりのタイトルを探す。
ゆったりと燃えるタバコは今を適切にかつ
見事なまでに表現していた。
舞台の暗転のようにCMへと移行したので
ラジオを停止して、おもむろに立ち上がった。
MDコンポの電源を入れると同時に
本棚の前に立ち、CDとMDディスクが並ぶ一角から
適当なものを選択し、コンポに入れた。
再生されたのは、90年代のヒットソングを
録音したものであった。
未だにCDやMDを活用するのは
音楽をデータという重みを感じないものよりも
確かな重みを感じたいというこだわりだった。
青春時代に14曲から15曲という制限によって
取捨選択を繰り返した時代が好きなのだと思い知る。
何度も聞いたヒットチャートを口ずさみながら
本棚の上のパソコンを開く。
スリープモードで画面が真っ暗だったが
適当にキーボードを叩けば即座に明るくなる。
パスワードを打ち込んから
インターネットをクリックする。
トップ画面のヤフーニュースには
ピックアップされたニュースが挙がり
幾つかクリックしては要約を確認する。
恐らく文字制限、或いは読まれる量を踏まえた
薄っぺらな文章からは真実を掴むのは困難だった。
いつからか情報は簡易的になり、読者は強制的に
余白を想像することを任されるようになった。
悪くはないが、それには相応の能力が求められる。
小説の読書感想文がバラバラであるように
文章から感じるものは、人それぞれで
ニュースという情報媒体には即さない。
何より真実が欲しいのにも関わらず
まるでフィクションを読むかのような
もどかしさは、正直嫌悪感を抱いてしまう。
恐らく、少ない情報とネットで拵えた情報を合わせて
自分なりの論理や真実を武器にして
顔も知らない誰かとコメント欄で
遣り合っていると考えた途端、ため息がこぼれた。
尊敬する元プロ野球選手のコラムを読んで
気持ちを落ち着かせていく。
浜田雅功の歌声、小室哲哉のメロディが
部屋に響き始めて、ゆっくり目を瞑った。
子供の頃には分からなかった曲の良さが
今になって胸を刺すかのように伝わる。
Twitterを開き、タイムラインを眺めた。
誰かの花鳥風月な呟きが並んでいる。
マウスを動かし、スクロールしていく。
気付けば、二本目のタバコに火をつけていた。
習慣の怖さだ。惰性みたいな動きは
もはや人生の一部と言っても過言ではない。
画面は一定速度で動いていく。
別に何か有益な情報を欲していた訳ではないから
なんで見ているのか、理由なんて説明できない。
でも無意味に時間を費やしていくことで
今が休日であると自覚できた。
もう目はしっかりと覚めており
コーヒーも少し冷め、飲みやすくなっていた。
すると他の文字よりも二倍くらいの大きさで
目に映るツイートが目に入った。
そんな機能はTwitterには存在していないから
無意識のカラーバス効果だった。
ただ、綴られた文章の破壊力は
ゴングと同時に繰り出した山本KID徳郁の
左膝蹴りを彷彿とさせた。

『自分のやりたいことって何だろう?』って悩むより
同じ毎日を繰り返しすぎて脳みそが働いてないから
そんな悠長な悩みが持てることに悩んだ方がいい

フォローしていた起業家の文章は
仕事から解放されて弛緩していた
脳内や身体が急激に硬直していく
恐ろしい感覚がゲリラ豪雨のように
無防備な僕を襲ってきた。
KIDに瞬殺されたファイターの映像が
頭に浮かんで、思わず苦笑した。
「真実はいつだって刃物だぞ」
弱々しく呟いてから、静かにパソコンを閉じた。
自分のやりたいことというのは
簡単そうに見えて、実は高水準の問題提起だ。
仮にすぐに思いついても
だいたい付属するものの多さに頓挫する。
やりたいことで飯を食うのは容易ではないのだ。
悪しき刷り込みは、見事なまでに歩みを止めさせ
動物園にいる動物みたいに大人しくさせる。
だからこそ草原で走る野生動物には
憧れのような感情を抱くのかもしれない。
中学生の不良みたいにちょっとばかり
反発の念を抱いてしまって
カッコ悪いなと思ったけれど、仕方がなかった。
大人気もない自分を自嘲し、三本目のタバコに
ゆっくりと火をつけた。灰皿には無数の吸い殻あり
それはある意味、思考の残骸に等しかった。
彼が真理みたいなことを見つけるずっと前から
僕は「生きる意味」という哲学的であり
それこそ悠長過ぎる課題を向き合っていたからだ。
心の中で、生まれてくる時代を間違えたという
意味不明な自負を未だに抱いている愚か者だ。
生きる意味が不透明だからこその特権か
自分のやりたいことを真面目に考えたことはない。
なんで生きているのか分からないのだから
やりたいことなんて崇高なことを考えられないのだ。
だからこそ生きる意味を示せる方法を模索した結果
張りぼての漠然とした答えには辿り着いている。
恥ずかしながら、隠れて従事している。
アプローチの方法が異なっているけれど
ぼんやりと同じ方向に向かっている気がした。
すると、何度も読んだ小説のタイトルを
急に読みたくなった。
四色問題と生きる意味。
ジャンルも解いた先の世界も
絶対的に異なっているけれど
そこに向き合う姿勢は重なる気がした。
それ以外の部分も、多分重なる。
思い立った時にはもう動き出していて
本棚から、しっかりとそのタイトルを
手に取っていた。無意識は正直だ。
「今日からの一冊はこれだな」
表紙は色落ちが激しく、所々ボロボロで
いかにこの物語に頼っていたかを図る
目に見える物差しだった。
「これを読む前に飯だな」
僕はタバコの火を消してから台所へを向かう。
停止していたラジオを再生して
どうでもいいCMと90年代のヒットチャートが
混ざり合う不協和音を聴きながら
再び、時間を無碍に扱い始めた。
我ながら、贅沢だ。
そして不意に思った。
僕は夢で飯は食えないと。
だからちゃんと箸で食べようと。
作業用の机の上でコピー用紙の山が
エアコンの風に吹かれて
パタパタと音を立てていることも
インクの少ない赤ペンが転がっていることも
この時の僕は知りもしなかった。

文責 朝比奈ケイスケ

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