活きた姿で太陽の下を歩きたいもんだな。

師走の足音が聞こえてきた。
もう一年が終わってしまうまで
1か月を切ろうとしている。
忘年会、クリスマスに大みそかと
なんだかイベント事で溢れる十二月。
少し感慨深くなってしまうのは
例年通りで、どこか普遍的だ。

この時期になると会社から
数枚の書類が届く。
動向調査という名の紙切れだ。
来年についての希望や
今年一年を振り返るために
強制的に課せられる鎖。
一年を嫌でも振り返る先には
何にも待っていないと思っている。
【人生全力後ろ向き】の半生を
踏まえてみても、それは歴然。
過去を振り返った結果で
何かを得た経験なんてない。
何より日々、過去を反芻する僕には特に。

数日前、弾き語り屋と電話をした。
社会規範とのズレについて話したけれど
彼にとってはどうでもいいようなことを
相談されるのは、ちょっと意外だった。
その中で、幾つか訊かれた質問に
僕は正直言って、言葉に詰まった。
【何故、働いているのか?】
アラサーになるくらいには生きているので
この質問には相応の意味がある。
【社会とのつながりのため】
そう答えれば、なぜ違う場所に行かないのか?
なんて当たり前のように訊かれた。
【適応力の乏しさの結果】という旨の返事で
応戦したけれど、その後ちゃんと考えてみた。
決められた場所で社会規範に乗った働き方は
入ってしまえば、特に頭を使わずに生きていける。
無論、外れた道でも生きていける。
それが昔で言うヒルズ族だろうし
今にフォーカスを当てれば
ZOZOだったり、showroomなんだろうか。
或いはyoutuberあたりだろうか。
彼らには相応な覚悟と自信がある訳で
不安定な環境を進み、創造することへの
あくなき挑戦心が垣間見える。
さて、僕の生き方はどうだろうか。
空虚な安定にすがっていると言われれば
まさにそうだし、否定するつもりもない。
このままでいいとは思わないけれど
何かを変えるリスクを取りたいとも思わない。
何故か。
多分、明確な指針がないからだ。
こうなりたいという欲がない。
というか欲を持ったらいけないと
思い込んでいる節があったりもする。
何故か。
信念のない欲は身を滅ぼすことを
読んできた物語を通して知っているから。
小説を書いて小説家になりたいと思う欲はある。
でも小説家として飯を食うと考えると
なんだかズレが生じてしまうんだよね。
多分、小説家になりたいのは功名心で
今までの人生をひっくり返したいという
貧弱な反骨精神と淀んだ感情が入り混じっている。
本音は小説を書ければいいと思っているので
それなら別にプロじゃなくてもいいわけだ。
本当は楽しいと思うことが楽しくなくなることが
単純に怖くて、すがった世界を否定されることへの
恐怖心が僕の足を簡単に止めてしまう。
一度経験した記憶は、容易に消えやしない。
だから空虚な安定にすがる。それが今の僕だ。
言葉にすればするほど情けない。
年齢を重ねた結果、悪い方向に思考は向かう。
【何故、働いているのか?】
彼には今持っていた相応な返答をしたつもりだ。
でも数日後、じわじわやってきた。
まるで序盤のボディーブローの連打が
後半になって堪えてくるかのように。

会社から配布された書類を記入していて
何度も何度も彼の言葉が頭をよぎった。
多分、昨日読んだ「ソクラテスの弁明」の
影響もあるだろうし、FA宣言をしていた
選手の去就が落ち着いたこともあるのだろう。
ありがちな設問に答えていく中で
何度か筆が止まる。嘘みたいに。
まがいなりにも言葉を扱う職業を
目指した似非文学青年だからこそ
設問の奥の奥まで考えてしまうし
仕事に楽しさを求めるのであれば
今の場所にはいないだろうと
不意に思ってしまった。
目に見える成果が見えないからだ。
プロ野球選手であれば成績に加えて
年俸という物差しがある。
営業職であれば営業成績がある。
それを踏まえて、次の手を思案する。
でも、環境要因と実務内容によって
評価という概念は工場地帯の空のように
くすんで見えるのが実情だ。
現状を正しく見えないし
恐らく正しく見られてもいない。
何が正しいかなんて分からないけれど
それが見えないことには話にならない。
俯瞰で見つめれば能力が平均以下であり
努力を積み上げるということも人並み以下。
よく生きているなと思うことすらある。
多分、全能力が乏しいユーティリティー。
それが今の僕の現状だろう。
なんたって武器を持っていないのだから。
我ながら自己肯定感の低さに笑えてくるけど
自己分析については誰よりも考えてきた半生。
恐らく大きくは外していないだろうなと思う。
じゃあなんでこんな無様なんだろうかと問う。
答えは割と簡単に、そして明確だったりする。
僕の武器は圧倒的なマイナス思考力と
集団の中の空席を見つけること
そして率先して脇役に回れることだ。
(あとは文章における回りくどさかな)
空席を見つける能力については椅子取りゲームに
例えることが多いので、ここでもそれを採用する。
幼い頃から武器が無いことを自覚していた。
だからこそ、勝つ手段や存在価値を見出す方法を
無意識で探していた、面倒な子供だったと思う。
椅子取りゲームの椅子の数は限られているし
更に条件を科すと、ゲームの様式は劇的に変わる。
例えば、クラスで演劇をすると仮定する。
劇をするにあたり主役・ヒロインなど配役の
他に裏方など幾つもの役割が求められる。
無論、演者になりたい人は目立つ役を目指すし
極力、目立ちたくない人は裏方を目指すだろう。
多くの椅子がある中で、一番人気のない席を
嗅ぎ分ける能力、その椅子に染まる能力については
誰よりも高い自信を持ち合わせている。
その期待されていない席で結果を残すというか
存在を証明することで自分の場所を得た人生だった。
高校の野球部時代は、考えて戦略を練ることや
スコアを書くということで存在を証明し続けたし
その応用で成績を出すなんてこともしたさ。
高校卒業する際にもらったアルバムには
軍師という言葉があったくらいに役割に徹した。
そういう形で武器を強くしていくのが
僕の冴えない処世術だった。
ある意味では集団の中であれば
個性を出す術を知っているとも言えるのかな。
でもそれはすべて集団での話。
個人になると、状況は変わってくる。
更には椅子が人数分あって座るように
即されると途端に何もできなくなる。
隙を突くこともできないし
集団によって変わる武器は使い物にならない。
元来、リーダー的な力もないので導く側は
しんどいし、何より面白みがない。
バントが特技の選手に四番を任せてどうするんだ?
適材適所にあてがう中で脇役に徹するのが
僕の長所なのに、とは思う。
脇役が主役を食うことに快感を得る人間が
常にスポットライトを浴びるのは辛いのだよ。
誰かが居ての武器は自分の信念の弱さを
見事なまでに反映している。
なんてことが頭に浮かんでは消えなくて
結果、なんで働いているのだろうかと
自問自答する羽目になってしまった。

あぁ、人生って難しいな。
あぁ、働くって難しいな。
下手に冷静な観察者気取りで
生きてきたツケが回ってきたな。

さて、どうしたもんかな。

文責 朝比奈ケイスケ

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