心底思う。モグラみたいだな、と。

なんだかモグラみたいなだな。
心底思うことが増えている。
暗くジメジメとした場所で生きて
眩しいものから遠ざかっているのが
原因であるとは分かっているけれど
上手く処理できない。
年齢を重ねた結果といえば
収まりはいいのかもしれない。
ただ、その分得たものが少なくて
むしろ失っているものが多いようだ。

昨日、地元で草野球に参加した。
中学の野球部+αで組んだチームは
大学二年の春に産声をあげた。
あれから公式戦だけは皆勤の
弱くて、個性豊かなチームは
所属したチームの中で
一番思い入れがある。
十年目の最終戦は個人的に
満足できる内容だったけれど
ボクだけ取り残されている感は
漠然と感じてしまった。
チームメイトの多くは
結婚やら子供が出来たやら
家を建てるやら進学やらと
忙しそうだった。
他人事で、実情も分からないから
その姿は実に羨ましいと思う。
でもそのどれもに属さないからこそ
なんだか寂しいのかなとか
散歩しながら考えてしまうボクは
恐らく、何かを見失っていて
その隙を突くように襲う
一抹の感情は、なんだか重たかった。

最近、日常のルーチンから外れる
非日常が多かったはずなのに。
でも、その非日常もどこか般化していて
新鮮味という観点で眺めれば
乏しさがあるのかもしれない。
それとも立ちふさがる仕事の難題に
頭を悩ませているからだろうか。
厄介ごとは一気に襲ってくるという
教訓は持ち合わせていたはずなのに
いざ、やってくるとサンドバックのように
殴られっぱなしの自分がいる。
マウント取られて打たれるのは
覚悟していても、ちとシンドイ。
逃げようにも逃げ場所が無くて
仕方がないから一人で戦うことを決めて
やりくりするのが、社会人になってからの
ボクの拙い処世術だった。
いつの間にか、無理は得意技になっていた。
理不尽さに嫌気がさしたところで
誰かみたいに枠の外に出て戦う度胸を
持っているほど感性は豊かではない。
むしろ決まった場所で最善の手を打ち
間違った時の言い訳を用意する能力は
日に日に増している。笑えない。
誰かに寄りかかりたいと思ったところで
学生時代みたい助けてはくれない。
その誰かは誰かで守るべきものがあったり
理不尽と闘っているから、致し方がない。
むしろ分かったうえで、一人で歩みを進め
背中を追いかけ、肩を並べるようと意気込む
青くて初々しい時期が懐かしい。
結局のところ、何も変わってないのかなと
自己嫌悪に自己否定を混ぜ込んだ
劇薬を打ち込まれて、戸惑った。
誰かに寄りかかって甘えて
助けてほしいと他力本願を浮かべては
その方法も知らないことに気付く。
「助けてください」
空港のロビーで叫ぶ森山未來が
浮かぶ程度に危機的状況だ。

自分の弱さを口にできずに
溜まっていくフラストレーションは
次第に歪んだ視野を生み出す。
南キャン山ちゃんや
オードリー若ちゃんの
売れるまでの長い道のりを
聞いたり、読んだりしていると
言いたいことの何割かは理解できるし
自然と脳に染み込んでいく。
あと「火花」の影響もあってか
芸人のドキュメント番組が
TVerなどに挙がっていると
ついつい見てしまう。
今日もそうだった。
昨年度M-1チャンピオンである
とろサーモンを取り上げた
五十分番組を食い入るように
見ていた午前中。
分かっている、分かっているよ。
何かがズレていることくらいさ。
それでも夢中になって観ていた。
そうしていると不意に
バイブルである竹内真著書の
「風に桜の舞う道で」の一説
「――どうするかは
三十歳になるまでに決める」が
ずっと頭の中に浮かんでいく。

さて、ボクはどうするか。
ちょっと真剣に考えよう。
結論が出た時、モグラじゃないといいな。

文責 朝比奈ケイスケ

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