梅雨が明けて、平成最後の夏。

梅雨が明けた。
あまり梅雨の実感を抱くことなく
過ぎ去った雨の季節は
なんだか徒労ばかりが
目立つことばかりだった。
そうして平成最後の夏がやってきて
高校野球も切り良く100回大会。
「最後の夏」と言えば自然と
高校生活のことが脳裏に浮かぶのは
良くも悪くも教育の賜物なんだろう。
最後の夏に賭ける想いなんてのは
あの頃の僕にはあまりなくて
むしろ二年半もの間、繋がれていた鎖が
外れた感覚のほうが印象強い。
おおよそ十年前のことを
思い出してしまったのは
バッティングセンターで
左の手のひらに血豆を作ったからだろうか。
それとも店にあったトーナメント表を
見てしまったからだろうか……。
11年前の僕は、一端の高校球児だった。
そして最後の瞬間をベンチの中で
防具を身に付けて、眺めていた。
もう、その学校は存在しないけれど。

あの頃の僕も色々な人間関係の狭間で
なんだか勝手にもがいていた気がする。
今の僕なら、もう少しうまく立ち回れると
思うけれども、結局は同じような場所で
頭を抱えているから、何とも言えないけれど。
最後の夏の印象は、本当に乏しくて
2回戦が曇天で、3回戦が晴天で
どの試合も防具を身に付けて
ベンチから戦況を見つめていた。
あの時ほど野球が嫌いになった時期はない。
高校野球を舞台にした物語や
高校野球を特集した番組に出てくる
爽やかで、鮮やかで、眩しい青春を
経験したことがないのは後悔の一つで
今更、学校選びを間違えたと思い知る。
しかし、華やかな世界の裏には
必ず影があることを知っているから
情報操作なんだろうな、と思う冷静さは
一応、持ち合わせているわけで。
そしてあの頃も、僕は小説と共にいた。
東野圭吾を読み漁っていた時期であり
貴志祐介の「青の炎」を何度も読んで
ロードバイクが欲しいと思った時期でもある。
そういえば、僕の本当の処女作(未完)は
あの頃に綴ったものだった。
朝ドラ「半分、青い」の北川悦吏子さんが
描いていた「たったひとつの恋」を
少しオマージュした処女作は
ドラマばっか見ていた僕の偏見と憧れが
詰まったものであったと思う。
見たくはないが、忘れることはないだろう。
あと交換小説と言う形で二人の友人と
物語を描いていた思い出は、多分、黒歴史。
一人の友人が綴った衝撃的な展開は
今まで出会ってきた物語でもトップクラス。
「ハチの巣になった」という秀逸な文章は
もはや全てのことを放棄した放火魔みたいで
修正を図ることで消防隊の苦労を知った気がした。
でもこの頃から、小説家になりたいと思っていた。
ガラケーの小さな画面にテンキーで
拙い文章を書いているときの快感は
今の比にならないくらい強く印象付いていて
だから辞められないのだろうな、とか思う。
今年も夏がやってきた。
色々なドラマがあちこちで取り上げられて
食傷気味になる時期に、僕はどんなドラマの
主人公になるのだろうか。

文責 朝比奈ケイスケ

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