「キミに会えたら」【ショート・ショート4】

6月28日。
僕にとって忘れられない日。
確か去年のこの日は雨が降っていて
僕はびしょ濡れになりながら
涙を流して、睨むように
曇天の空を見上げていたな。
「で、この部屋なんですが……」
スーツ姿で話す男の表情は
何かを切り出すのを躊躇うように
曇り始めている。
ポッコリと出た腹回りは
振られた相手のことを悪く言う奴に似て
かなり見苦しかった。
引っ越しを決めてから数日。
僕はネットで調べた不動産屋に
連絡を入れ、一日を内見に費やした。
この部屋で内見の最後。
幾つかの候補から部屋を選ばないと
いけないのだが、心は決まっていた。
「もしかして事故物件ですか?」
スーツ姿の男は静かに頷いた。
山手線の駅から徒歩10分圏内で
広めの部屋でトイレ風呂別の3階。
この内容で家賃が5万円前半。
コンビニも近いし、飲食店も多い。
家賃の相場から言えば破格の安さ。
「……はい。立地条件等はかなり良いのですが
いかんせんこの情報を聞くと皆さま避けられる
物件でして……」
そりゃ、そうだろう。と思う。
好き好んで事故物件に住もうと奴は
大抵、頭のネジか何かが緩んでいる。
不動産屋の苦い表情には
早く立ち去りたいという気持ちと
どうせ選ばないのだから
さっきまで見た部屋で決めてほしいという
感情が見事に浮かび上がっている。
「自殺ですか? それとも事件ですか?」
僕はかなり落ち着いた口調で尋ねる。
「去年の夏、この部屋に住んでいた女性が
寝室で事件に巻き込まれたそうです。
私は違う場所で働いていたので
詳しく知らないのですがね……」
「そうですか。こんないい部屋なのに
もったいないですね」
「部屋としては素晴らしくて
本来は家賃も高いのですがね……」
客のくせに面倒な部屋を
案内するように言いやがってと
今にも文句を言わんとするばかりの
口調に少しイラついたが、我慢した。
僕は笑顔を崩すことなく、部屋を見渡す。
そして将棋の勝負の局面で
棋士が見せるような神妙な表情を作った。
しばしの沈黙。
電車が走り抜ける音が部屋に聞こえる。
そして僕は口を開いた。
「ここにします」
驚いた表情を見せたのも束の間
厄介な物件が売れたことを喜ぶように
男の顔は緩んでいくと思えば
真面目な表情で僕に訊いた。
「本当にここでいいのですか?」
「はい。ここにします。昔、この辺りに
友人が住んでいて、地理にも明るいので。
正直なことを言えば、金銭的にも
安い方がありがたいので」
そして僕は事故物件に住むことになった。
契約はスムーズに進んでいき
引っ越しの日は6月28日に決まった。
因果もんだな、と住んでいた部屋で
苦笑いを浮かべた。
翌日、引っ越し業者がやってきて
部屋の物を事故物件に配送してくれた。
夕方前には、引っ越しの工程を
全て終えることができたのは
単に僕の荷物が少なかったからだろうか。
やることがなくなった僕は
財布を持って、外に出た。
眩しいほどの青空が広がっていて
思わず空を見つめてしまった。
僕は何度か行った商店街に行き
揚げ物が有名な肉屋で唐揚げを買い
スーパーで2種類のビールを買って
部屋に戻った。夕日が差し込み
白い壁にオレンジ色が着色されている。
まるで何かを祝うように美しかった。
不動産屋が言っていた事故現場の横に座り
買ってきたビールのプルトップを開ける。
寝室から見える都内のビル街は綺麗だった。
「なぁ、これは同棲ってことになるのかな?」
僕は呟き、ビールをあおった。
窓に掛けたカーテンが不自然に揺れる。
まるで僕の質問に答えるようだった。
「お前の好きなビールもあるぞ」
そう言って、もう一本のビールの
プルトップを開けて、床に置いた。
キミの大好きだったメーカーのビールだ。
「前に言ってた唐揚げも買ってきた。
お前には悪いけど、一人で食うからな。
怒るなよ。お前、飯のことになると怖いから
一応言っておくけど今日くらい許してくれよ」
僕は狂ったように独り言を繰り返した。
ベッドの横に置いた本棚の上には
写真立てがあり、そこにはデートの時に
撮った二人の笑顔が写っている。
「ごめんな。今までお前を見つけられなくて。
でもちゃんと見つけたから許してくれよ」
風呂場のシャワー音が聞こえた。
許されているのか、怒っているのか。
僕には分からなかったけれど
確かにこの場所にお前がいることを知れて
泣きそうなほど、嬉しかった。
「これからもよろしくな」
僕の声は、誰もいないはずの部屋に響く。
そして鼻をすするような音が聞こえた気がした。

文責 朝比奈ケイスケ

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