「雨の匂い、君との出会い」【ショート・ショート1】

交差点の信号が青になるのを
名前も知らない人達と待っていた。
目の前を過ぎ去る車の多さに
戸惑ったのはずいぶん昔の話で
今では日常になっている。
東京という街に染まっていることを
自覚しそうになった時に
雨の匂いが、嗅覚を刺激した。
生まれてから十八歳になるまで
住んでいた町で手に入れた能力は
今でも健在であることに驚いた。
パブロフの犬のような
条件反射で天を仰ぐ。
タバコの先端から伸びる煙みたいに
灰色した汚れた分厚い雨雲が
広がっていて、ため息がこぼれた。
「キミも見上げているだろうか
この汚い都会の空を……」
未だに忘れられない姿が
不覚にも脳裏に浮かんだ。
喜怒哀楽を共にして
一緒に歩んでいた道を
歩かなくなって、もう二年。
僕の柔い部分にできた穴。
ようやく薄いかさぶたが
穴の周辺を塞いではいるけれど
時より剥がれてしまい
消毒液を垂らしたような
染みていく痛みを感じると
僕はどうしょうもなく泣きたくなる。
そして後悔の念を抱いてしまう。
どうして僕は離れそうになった
キミの手を掴もうとしなかったのか、と。
そしてドラマや小説みたいなフィクションが
現実に起きた出会い日のことを思い出した。
最初の出会いも今日みたいな曇天だった。
同僚からの誘いを断れずに行った飲み会。
いや正確には同僚たちが出会いを求めて
学生時代の伝手を使って開催した合コンだった。
彼氏、彼女を求める環境は苦手で一番端の席で
借りてきた猫のように小さくなっていた。
早く終わってほしい、と心底願った。
説教好きの上司との飲みの席で抱く感情と
今の心境は寸分の狂いのない。
幸いなことに人数合わせで
ほとんど喋らない僕に興味を持つ人は
誰もいなくて、目の前に運ばれる料理や酒を
消化していくことだけに集中できた。
もはや僕の席は、合コンの空間とは異なっていた。
そんなテストの回答が終わった時のような
手持ち無沙汰で苦痛な時間を
禅修行の坊さんよろしく乗り越えた僕は
店を出たらすぐに調子が悪いと嘘をついて
早々に集団から離脱した。
最寄の駅近くで営業しているコンビニの前で
我慢していたタバコに火をつける。
吐き出す煙は、ため息そのもの。
都会の喧騒を目の当たりにしながら
「雨の匂いがするな……」何気なく呟いた。
「わかるんですか、雨の匂い?」
突然、聞こえた女性の声。
思わず、声の方に目を向けると
さっきまで一緒に時間を過ごしていた
女性陣の一人が立っていた。
「二次会に行ったんじゃなかったの?」
「明日早いから抜け出したの」
「そうなんだ」
「私がいない方が人数的にも合うしね」
「なんかごめん」
「別に謝ることじゃないでしょ?」
返す言葉が見当たらなかった僕は黙った。
「ここのコンビニのスイーツが
美味しいの知ってる?」
キミは手の持ったコンビニ袋を
顔の位置まで上げて言った。
あまりに無邪気な笑顔。
返事をしようとした瞬間に
雨粒がアスファルトの道や
申し訳ない程度に設置された屋根に
ぶつかる音が聞こえ始めた。
次第に強くなる雨、傘が欲しいと思った。
キミに断りを入れて、コンビニに入る。
気が付くとキミは僕の横を歩いている。
エロ本のコーナー横にあった傘売り場で
残り一本のビニール傘を手に取り、購入した。
カップルのように一緒に外に出る。
目と鼻の先にある駅に行くだけでも
びしょ濡れになるくらいの大雨になっていた。
「本当に雨が分かるんだね」
感心したような表情を浮かべるキミに
「一緒に入る?」と柄にもないことを言った。
すると笑いながら「当然でしょ」と答えるキミ。
多分、この時には僕はキミに恋をしていた。
あの時の想いを継続できていればと
僕らは今も一緒にいたのだろうな。
待っていたはずの信号は青に変わっている。
この調子だと二年間のこと全てを思い出し
家に着く頃には別れを切り出された
晴天の海でのことを思い出すのだろうなと
ぼんやりと、でも確信しながら僕は歩き出した。

文責 朝比奈ケイスケ

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