くだらねえとつぶやいて醒めたつらして歩く

エレファントカシマシ「今宵の月のように」の
歌詞から拝借しました、今回のタイトル。
この曲を初めてちゃんと聴いたのは四年前くらい。
好きなアーティストのライブに行った時に
カバーされたのが、きっかけだった。
ライブが始まる前に友人と一緒に行った
タワレコでエレカシの話をしていたこともあり
普通にカバーされたという事実に上乗せされた
思い出が残っていて、印象深い。
それ以降、何かと口ずさんでいる曲の一つ。

気付けば、水無月の足音が聞こえてきて
そろそろ僕の季節がやってくるな、なんて
思っている愚か者の日常に差し込む色は
面白いほど同じで、ため息が出る。
何かを求めている心情を無視するように
機械的に過ごしているのが現実。
縦軸だけを見れば、立派な社畜。
我ながら、哀れで情けないとすら思う。
でも抜け出す勇気はなくて
染色される生地のように無抵抗に
色づけられている感覚は居心地が悪く
僕の柔い部分を刺激する。
壊れそうで壊れない自身の頑丈さは
恐らく青春時代の核に投資した
高校時代の悪しき記憶のおかげで
言葉にならない感情が湧き上がる。
別に世間を賑わしている事件のような
常識を逸脱していた訳ではないけれど
人生において影がある時間には変わらない。
妙に耐性があるのは、幸か不幸か。
考えても仕方がないことに頭を悩ますのは
思春期の頃から続く、生業の一つだからこそ
正直、成長がないのかなと落胆する。
周りを見れば、転機によって景色が
変わっていると判断できる奴も多くて
それが何故か、羨ましく見えたりする。
疲れてるんだな、なんておざなりな
誰もが言えそうな常套句を口にして
現実を俯瞰で見ているつもりでいる僕は
思っているよりも疲れているのだろう。
この感覚には見覚えがあって。
付属する記憶が僕をさらに追い込む。
でも悪循環を止める術、今も知らないし
隠している性根が腐っている部分が
確実に顔を出している気がする。
こういう時の僕は大抵、独りだ。

「独りが寂しい」
刷り込みを義務教育に学んでいるからこそ
危機的な状況にいるのではないか?
芥川龍之介の言葉を借りれば

何か僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安である

簡潔にすれば「漠然とした不安」を餌にする
火喰い鳥のように、様々な因子を焼き尽くす。
積極的に人と関わらない人生を営んでいると
確かに寂しいとは思うし、意味を問いかけたもなる。
意味を求めること自体が有意義で無意味であることを
経験則で知っている僕は、他に目を向ける。
大勢が参加するイベントとかでは働く視点がある。
例えば、強制的に集合させられたイベント。
そこに参加することで手にする
メリットは幾つあるだろうか。
斜に構えた中二病スタイルだと自覚したうえで
考えてみると、割と自分はマイノリティだと知る。
つい先日もそんなことがあった。
仕事の都合で参加せざるを得ないイベントに
注射を嫌がる小学生並みのテンションで参加して
賑わう風景をぼんやりと眺めていた。
久し振りに会える人がいたり
タダで飲食できるといったメリット位しか
正直、浮かばないのだけれども
そもそも挙げた二つの内容は
僕にとってメリットではないから
参加する意味は、皆無で。
仕事という事実があっても苦痛を伴う。
人と関わるということに対して
一抹の嫌悪感みたいなものがあるのだろう。
何故だろう? 染み渡った孤独論理のせいだ。
あと人に対して抱く猜疑心と疑心。
理由は分かっているし、原因も分かっている。
神経質で期待しがちなんだろうなと思うけど
そもそも期待されないことを示されるのが
シンドくて、落ち込むからだろうか。

頑張らないと期待されない。
どこかの物語で綴られたセリフ。
間違ってはいないだろうし
的を得た発言だと思う。
でも期待されるために頑張るのは
恐らく本質がズレているだろうし
あくまで付加価値の一環に過ぎない。
何のために頑張るのか。
この絶対的軸がブレると
本質を見誤ることも多い。
現状として頑張る理由が見当たらない。
もっと功名心や野心に溢れる人間ならば
世界の風景は異なるのだろうけれども
残念ながら、人生には、もしもはない。
白か黒か。結果が全てを物語る。
それが覆すことのできない真実。
多分、本音を隠し続け過ぎたと思う。
分かっている、社会常識や周りの目を
意識しすぎた弊害であることは。

どうしょうもない縦軸にも
一筋の光、クモの糸程度の光が
差す横軸は僕にも確かにあって。
それがこれから話す横軸。
仮に僕を記録に残すとして
絶対に外せないものが二つある。
一つは野球、もう一つは小説だ。
どちらも幼き頃から僕の人生を
ある意味劇的に変えてきたもの。
今なお続く野球で繋がる関係性や
雁字搦めの自我を解放できる
グラウンドはかけがえのない財産。
中学一年生の頃に出会った小説から
始まる物語との関係性は
いつも寄り添ってくれたし
時には何も持っていない僕の手に
一つの武器を授けてくれた。
今でこそ停滞気味だけれど
読んだ物語の分だけ
血と骨になっているし
物語を書いてみて知ったこともある。
それが多分、僕の世界を変える術。

書き終えた7作品。
毎日のように更新する140字小説。
友人からの激励。
そして……。

そういえば「PeterPan Studio」の主が
また面白いことを提案してきた。
ここで書こうとは思うが今ではない。
それは、また今度書こうと思う。
こんな長い自我の解放の後には
相応しくないと思うから。

天才でも秀才でもない凡人。
優等生ではない劣等生の僕には
やれることは限られているから。

僕は処女作と最新作を
印刷したゲラと向き合う。

ネットの片隅で物書きを名乗る
無名で呆れるほどしょうもない僕には
それしかないと思うから。

文責 朝比奈 ケイスケ

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