4月8日(日)

桜も舞い散る中で
ゆったりと、でも確実に
春という季節がやってきて
気付けば、卯月も一週間が
過ぎ去っていった。
いつかに見た桜並木は
今年も健在だったことに
幾分の安堵感を抱きつつも
変わりゆくすべての物への
慈しみみたいな感情を抱くのは
多分、春のせいなんだと思う。

早いもので社会人になって
七年目もの月日が経過して
ある側面を用いてみれば
「中堅」という立場にいる。
弥生に詰め込んだ研修の影響で
立場も少し変わっている。
島流しにあった罪人のように
長い間、離れ小島の住人として
一人で仕事をしていた僕にも
ようやく同僚ができるという
ちょっとしたハプニングもあり
景色が変わりつつあるのが現状。
これが表面上の顔の話。
正直、色々な厄介ごとで溢れ
お腹が痛くなるのは、別の話。

さて、そんな一端の社会人を
道化のように演じる僕は
相変わらず何もないのですが
周辺もなんだか騒がしさから
落ち着きを取り戻しつつある。
結婚式を挙げるという
広義の慌ただしさから
家庭を持って、子供ができたりと
狭義の慌ただしさへと移り変わり
外野からは見えなくなっていることが
大きな要因であるのだろうな。
ただでさえ、友達が少ないのに
こうなってくると孤立感が凝固になり
孤独感が僕を覆っている気がする。
幼き頃に抱いた未来図では
もう結婚しているのにな、とか
使い物にならない思い出が蘇り
溜息をつきそうになるのと同時に
やっぱてわかんねぇな、と
感傷にぼんやりと浸ってしまう。
そんな僕はスマホを駆使して
ラジオを聴きながら家事を行い
買い込んだ小説を読んだり
時より書いてみたりという
受験生みたいな生活リズムに
染まりかけている状況。
それでいて売れない芸術家のような
どこか昭和感が漂う感じに
仕上がっていて、笑えてくる。
僕は、一体何を目指して
どこに向かっているのだろうか。
そんなことを考えて早十五年。
今日も迷ってばかりだ。

迷子の中で光明を探すべく
足を踏み入れた新宿。
東洋一の歓楽街がある
大学時代のトポス。
快楽に溺れる訳ではなく
舞台「火花」を観劇するためだ。
ピース又吉直樹が世に出始めた頃
彼の独特の存在感に惹かれた理由を
今はもう覚えていないけれど
それでも大切な青春時代には
欠かせない存在であることには
変わりがない。会ったことないけど。
でも彼の二作目「劇場」が
僕の賞レースで惨敗だった作品
「ハイライト」を書くきっかけに
なっているからおかしなもので。
彼が作家として時代の寵児になったのは
三年前の2015年まで遡る。
彼の処女作「火花」は
爆発的に売れて気付けば芥川賞。
そのニュースを自転車旅行先の
ホテルのテレビで見ていた。
真夏の太陽によって焼かれた
腕や足の日焼けが懐かしい。
内容は売れない芸人の物語。
青春小説であるからこそ
ストライクゾーンにドンピシャで
原作を何度も読み返した。
ドラマも同じように観返した。
あきれるほどのあほんだらだ。
でも映画はなんか観る気になれずに
鑑賞していないのだけれど
舞台化され、しかもご本人登場なら
それは行くべきだと思い立ったのは
今年の初めくらいの話だろうか。
観たいもの、読みたいものについて
お金をつぎ込むことに抵抗はないし
行動力も伴うのは不思議な話。
チケット販売日には抽選に応募して
数週間後には当選の連絡が届いた。
一人で観劇をするようになったのは
去年の夏が初めてで、今回で二回目。
キャラメルボックスが演じた
「スロウハイツの神様」も
面白かったから期待値は上がる。
夕暮れ時、新宿駅は人で溢れ
平日であることを忘れそうになったが
それは東京にとっては日常であり
二十代前半の記憶と被る。
あの頃、毎日のように東京に通い
まぎれもなく生活の中心だった場所。
距離を空けたのは僕の方なのに
なんだか寂しさを断片に触れた。
まるで未だに栄華から抜け出せない
都落ちした貴族みたいな感覚だ。
変わっている街並みを楽しみながら
東京散歩に精を出して
疲れたら喫茶店でコーヒーを飲み
タバコを吸って、小説を読んだ。
開演間近の劇場に足を踏み入れて
チケットに印字された席を探す。
若い女性が目立つ客席の中で
僕みたいな奴は見当たらなくて
でも僕の座席は用意されていて。
座席があるのは当たり前なんだけど
何とも言えない違和感を抱きつつ
腰かけたのは、結構前の席。
小説ともドラマとも
異なる世界観が広がっていて
でも大筋は「火花」だった。
引き込まれるのに時間は掛からず
あっという間に時間が過ぎていく。
生で見るテレビの向こうの人たち。
胸が躍るミーハーな僕。
又吉直樹の雰囲気は独特で
観月ありさの綺麗さに驚き
石田明の存在感は完全に神谷だった。
映画はあんまり観ないし
観劇も二回目だったけれど
ドラマばかり観る子供だったから
分かることもある。

俳優ってスゲーなって。

目の前の舞台で躍動する演者をも
凌駕するドラマ版のキャストである
林遣都と波岡一喜。
刷り込みの影響もあるだろうけれど
ちらほら顔を出すから戸惑った。
勿論、目の前の演者達が口にする
幾つもの言葉は胸打つものがあるし
小説から飛び出してきたかのような
存在感は唯一無二であり
アドリブ的な面白さもあるから
素晴らしかったし、魅了された。
終演後、ネオンが照らす街を
それこそ徳永のように歩いて
頭の中で錯綜する情報を
丁寧に整理し続けた。
こういう感情を抱けるのは
芸術の素晴らしい側面だろうな。
当てもなく歩いてみても
全くと言って消化できない感情。
原作にはなかったセリフのせいだ。
青春小説を好む理由は
恐らく、そこにあって
また小説を書きたいと
思ってしまう衝動もまた
そのセリフに凝縮されており
何度もリフレインする。

そんな帰り道から数日経って
僕は、再びキーボードを叩く。
まだ見ぬ、世界を紡ぐために。

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