2018年2月28日(水)

如月も最終日。
どうでもいいことばかりが
蔓延る無機色の日々に染まり
相変わらず窒息寸前。
どうしてこうなったのかを
たりない脳みそを酷使して
答えを導びこうとしたのは
遠い昔からの習慣であり
今もあまり変わらないでいる。
変わらないことは美徳だと
思い込んでいる節があって。
でも変わっていくことに
少しばかりの期待があって。
悲しいような嬉しいような
どうしょうもない感情の
有効な使い道を未だに知らない。
中途半端に生きてきた代償は
均された平地を歩く時ばかりに
不敵な笑みを浮かべた顔して
目の前に現れてくる。
意識が過去に向く性分だからこそ
浮き彫りになる症状。
今を生きているはずの僕を
幾つもの亡骸が転がる
後悔の海、それも深海へと
歓楽街の光に照らされる
人の好さそうな笑顔をした
キャッチの兄ちゃんみたいに
慣れた誘導して絶望へと
招待してくれる毎日は
相変わらずで笑えてくる。
これが変わらないことへの
執着だとするのであれば
呆れるほど色のない世界だ。

僕を起点するの狭い空間は
四方八方、賑わっている。
厄介なこともあれば
純粋に面白いと思うこともある。
酸いも甘いをブレンドした喧騒は
柔くて脆い胸を揺さぶり
あっという間に思考を奪い去る。
祭りの後の帰り道みたいに
さっきの出来事は嘘だったのでは?
なんてありふれた錯覚に陥ると
自分の存在というものについて
考察し、理解を深めようとする。
或いは物語の主人公について
不必要な因子分析を開始する。
生粋の脇役は、周りの機微に対して
冬の肌のように敏感なのだ。
こんなことをしているうちは
絶対に主人公になれないことを
頭の片隅に入れているのにも関わらず。
一種の依存症もしくは中毒症状とでも
表現できそうな発想についての
処方箋を手にしていないからこそ
ただ向き合うことしかできない。
手にあるカード、環境や状況を鑑みて
ストーリーテラーを演じる先には
意識的にも無意識的にも抑圧している
自我との対面が用意されていて
目を背けている情けない現状を
書き綴った令状を突き付けられる。
無駄に歳は重ねたからこそ
避ける術は持ち合わせているけれど
いかんせん、新しい展開に限っていえば
無条件降伏せざるを得ない。
知識と想像力の限界を見せられる
残酷さは、時に我を見失う。

友人の何人かが独立した。
新たな門出は祝すべきだとは
ちゃんと理解している。
一応、年齢的には大人だから。
しかしうまく処理できない。
話の縦軸的には同じだが
付属する感情の違いに戸惑う。
無い知恵を絞って浮かんだ仮説を
積み上げてきた計算方法を用いて
地道に考察を呆れるほど繰り返す。
数学と物理のアプローチでいえば
恐らく前者にあたる推論が導くのは
あまりにも救いようのないものであり
計算を止めたくなる衝動に襲われる。

ピーターパン・スタジオを
ある意味、公に立ち上げた彼の
言葉や文章の節々から滲む強さ。
土俵際、危機的状況を好み
自分の打席で結果を出す
クラッチヒッターと被るからこそ
誰もが背中を押したくなる魅力が
彼には漂っているのだろう。
近くで見ているとよくわかる。
主人公になるための
必要条件みたいなものも
見えてきてしまい
脇役との絶対的な違いを知る。
主人公に一番必要のないことを
彼はあまり持ち合わせていないのだ。
それは「客観視」という視点だ。
語弊があるが、その対象は自分自身。
SNSが台頭し、自らを探すことが
容易になった社会の中で
誰もが自分を知る機会を
簡単に手にできる副作用。
何者かになりたいがゆえに
いつしか誰かにとっての自分を
演じて、何者かになったつもりでいる。
巷で言われる「周りの目」を
大なり小なり意識した末路。
私はこういう人だから、という
訳の分からないことを
初対面で口にするバカに
共通しそうな作られた自分。
自分の意志で踊っていると
思い込んでいるつもりだろうが
SNSというダンスホールで
踊らされていることに
全く気付いていない。
そんな奴と一線を画すのが
彼なんだろうなと思う。
文字、動画や写真ではなく
もはや幕末志士といっても
過言ではない意思があり
行動として自分を表現する。
音楽を通した自己表現も
絶えることなく継続しているが
それだって、行動の積み重ねだ。
平成の奇兵隊を作るとか
口にするあたりロマンを感じる。
友人兼同居人の贔屓目だろうか?
そんな奇天烈なことを繰り返す姿を
見ていると改めて思ってしまうのは
大がかりな物語の主人公には
「客観視」が不必要であること。
リッチマンの日向徹しかり
ガリレオの湯川学、火花の神谷などは
所謂、一般常識を無視した奇人であり
自分本位で生きている様子が伺える。
その自分中心的な言動が物語に
色彩をつけて、面白くしている。
それはフィクションの世界に限った
狭義の話ではないだろう。
実社会に目線を移しても
奇人が世界を変えている事実は
往々に存在しているのが現実だ。
そうした知識を蓄えているから
余計に期待をしてしまうのだろう。
でも割と期待には応えるし
定期的にホームランも打つからこそ
物語にすれば画になるのだろうし
仲間も増えていくのも納得できる。
既存の世界の登場人物で表現するならば
火花の神谷を見る徳永の目線で
彼を見ている気がして、笑えてくる。

僕には主人公として立ち振る舞う
素質のようなものが欠落している。
自分とは何かを問いすぎた末に
妙に自分について知った気でいて
自らで全ての事柄を制限している
気持ち悪い感覚を抱くことも増えた。
SNSよりも厄介なダンスホールで
踊らずにピエロの格好をして
とぼけている姿は滑稽だ。
SNSというダンスホールで
踊らされている奴よりも
極めて重傷でタチ悪い。
でも僕はそんな風に生きている。
客観視という見え方に固執して
結果「固定観念」に手足を縛られた
愚か者と被る生き様は他人頼り。
恐らく主観もできていないから
自分自身で可能性という光を
無くしていると思うことすらある。
でもそんな分厚い殻の中にいることに
安堵感を抱いている側面もあるから
救いようのない。まぁ厄介だ。
近くにいたら友達になりたくない
ランキング上位も夢ではないだろう。

ただ友達にしたくないランキングで
上位を狙える要素を詰め込んだ
愚物の僕にも不思議なことに
捨てたくないものが幾つかあって。
思春期から自己分析を繰り返し続けて
多種に渡る希望や雑念を篩に掛けても
未だに残り続けるものがある。
使い古した音楽プレーヤーの中で
新曲の波に何年も耐え続けながら
今尚残る一曲みたいなものが。

この複雑で、ある意味単純な現実。
終止符を打つタイミングを
単純に見失っているのか
それとも捨てられないのか。
目に映ってしまう事態の原因。
真相はまだ闇の中だけれども。
闇の中に埋もれる答えを探して
今も長々と文章を刻んでいる。
なんてできるだけ前向きに捉えると
世界の表情が少し柔和になる。
初デートで浮足立ってしまう心境に
それはどこか似ている。
客観視が武器であると思い込んで
有意義に扱えるように
僕は今日も物語を紡ごう。

まだ知らないことで溢れる
刺激を感じられる明日に
一抹の思いをはせて。

文責 朝比奈ケイスケ

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