足跡①

師走も後半戦。

気付けばクリスマスも過ぎて

年末へとギアを変えている風景が

自然と目に入ることに自覚的になる日々。

振り返れば色々なことがあったし

初体験の出来事にも遭遇した。

感傷に浸るわけではないけれど

確かに幾つかの出来事を経験し

何かを得て、何かを失った。

やけに敏感なその感覚に

戸惑うことも少なくない。

能動的に動き出さずに止まっていても

工場のベルトコンベアみたいに

自然と動いてくれる時間や行事が

やけに尊いことであったことに

気付けるあたり、厄介な年齢に

差し掛かっているのだろうか。

三十歳成人説、という考え方がある。

二十歳では精神的にも社会的にも

未熟であることを踏まえて

上記二つの項目が成熟するを

三十歳と据えた考え方。

もちろん、その他にも要素は存在するし

それだけではないことは承知しているが

切り取れば、確かに的を得ている。

あくまで大半の場合という注書きが

必要不可欠であるけれど。

目に見えない論理みたいな因子だけれども

生きていく上で重要な役割を果たすからこそ

起業、独立、結婚、出産などといった転機は

アラサーと呼ばれる年齢に集中するのだろう。

現に、誰かの転機を眺めることが多かったし。

それを白と黒、良し悪しで判断することは

極めて愚策であることは人生経験の中で

把握しているはずなのにも関わらず

影を覗こうとする邪な顔が現れる。

厄介な特性だな、と自嘲したところで

大方、何かが変わることなんてない。

知っている、これも何度も経験してきたから。

じゃあ、ボクは何をする?

なんて使い古してボロボロの問題提起も

もはや意味を持たないし、ワクワクもない。

恐らく、今持ち合わせているものは

メインを際立たせるパセリのようなもので

手を付けるのすら億劫になるくらいの

言葉にできない抽象的因子。

わざわざ具体化し、追い求めようとする

活力なんてものは体内から抜け落ち

学校に取り残されたプランター内の

土のように枯渇している。

主人公になれないのはまだしも

サイドストーリーですら端役で

そんな自分の在り方に失望している節が

僕の中に存在していることに気付く。

行動をしていないことが理由であれば

こんなに頭を悩ますことではないのだろう。

だって行動をすればいいのだから。

でもそれができないまま漂っている。

動機付けの弱さか。

未来への失望か。

無力さへの降伏か。

どれも正解の一部なんだろうけれども

パズルが気持ちよくハマる高揚感は

正直言って、皆無。おかしな話だ。

主人公にもストーリーテラーにも

ほど遠い現実は、諦めの色で

確実に塗り殴られている。

呆れるほどの愚物は今日も意味もなく

感慨になるトリガーを探して

小さな世界をぼんやりと眺める。

どうにかなってしまいたい。

そう訴える心の叫びに耳栓をし

漠然とした不安をほんの少しだけ

和らげる場所を探して

新宿行終電の電車に飛び乗った。

 

 

 

 

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