ハイライト 17

ハイライト 17

「あの写真、いい写真だな」
 誠治の声で僕は鮮やかな思い出から現実に戻った。
「僕もそう思う」
 そう言ってから、壁にぶら下げてあるコルクボードを眺めた。そこには誠治たちとの飲み会や大学での日常を切り取った写真が張り付けられている。その真ん中で、あの時撮った写真が一際存在感を放っていた。
「最初のデート、和樹らしくなくて笑ったけどな。でもあれから、茜ちゃんは何かにつけて和樹の写真を褒めてたよな。それに和樹の事をカズ君って呼ぶようになったし、和樹も茜ちゃんって呼ぶようになったしな。オレは正直、付き合ってたと思ってたよ」
 誠治の発言はもっともだった。僕も自分が当事者じゃなければ、そう思う。
「あの時、翔平焦ってたよな。なんか知らないけど」
 彼女と別れたばかりの翔平にとって、彼女ができないと思われていた僕にそんな噂が立ったから、心中は穏やかじゃなかったと解釈していた。誠治は僕の顔を見て急に笑い出した。顔に何かが付いていると判断して、反射的に右手で顔を触る。
「和樹って意外に見えてないんだな」
「どういうこと?」
 誠治が口にした言葉の真意を尋ねる。
「でもまぁ翔平ならしょうがないか。実はあの時、翔平は焦ってたんじゃなくて、喜んでたんだよ。和樹に彼女が出来たって。それも相手は茜ちゃんってことでな」
 僕は何も言わず、次の誠治の言葉を待った。ノースリーから待ちの姿勢を決め込んだバッターのように。
「素直に喜ぶのが癪だからって、和樹の前では一切見せなかった。オレとジーターは知ってたから、翔平を見てて面白かったけどさ。和樹にはそういう風に見えてたんだな」
 誠治は意外そうな表情で、感慨深げにそう言った。僕と誠治たちとでは、翔平の見方が異なることがはっきりした。印象の不一致は、別に翔平に限ったことじゃない。僕も誠治も誰かから見れば、自分が思っている印象とは異なることは必至。写真に置き換えてもその論理は崩れることは無い。僕がどんなに素晴らしいと思ったところで、他の人の目で見れば、そうではないことで溢れている。何度か応募したコンペやコンクールで嫌と言うほど思い知らされていた。
「翔平は相変わらずだけどさ、あの時の和樹は少し変わろうとしてたよな。あの時は成長している感じがしてたけど、今は入学時の和樹に戻りつつあるぞ」
 語り掛けるように静かな声だった。天井をぼんやりと眺めている姿が目に映るけれど、どこか遠くを見ているようにも見えた。
「どういうこと?」
 誠治の言葉を反射的に追い掛けた。誠治と話していると、疑問符が多い、と言った後で気付いた。バッターの狙い球を探る頭脳派気取りの弱気なキャッチャーみたいだ。
「なんだか不安定の中で安定して胡坐をかいてる感じ? 分かりにくいけど」
 追い掛けた先に待っていた答えを頭では理解できないでいた。ただ、胸の辺りに鋭い痛みに似たものが芽生える。
「安定してるつもりないんだけど?」
「だろうね。だから不安だよ」
 何も言わず、次に来る誠治の言葉を静かに待った。
「不安定の中で安定していると思い込んで、行動を起こさない。実際は不安定なことに気付いているから、不安になるんだと思う。ずっと和樹を見てきたけど、今の和樹は、あの頃の純粋さというか身軽さがないんだよね。大人になったって言えば良いことだとは思うだけど。でもやっぱり、腰が重くなったように感じるし、手に届くところで満足してる気がするんだ。なんか思春期の中学生みたいな感じって言えばいいのか。アイドルを追い掛けるファンみたいな……。悪い、オレからこぼしておいて相応しい言葉が見つからない」
 なんとなくだけど、誠治の言おうとしたことの意味が分かったような気がした。冷静に今までを振り返れば、そう言われても仕方がないことばかりだ。彼女との関係も、就職活動に対しても、どこか打算的なことを考えて動いてしまっている。進展はないけど、近くに何かがある状態に慣れてしまった果ての姿。いつの間にか、市販のカゼ薬のようになっている僕を誠治はしっかり見抜いている。恐らく、誠治に限らない。翔平、ジーターや美沙すらも見抜いているのだろう。
「別にいいよ。なんとなくだけど伝わったからさ」
「和樹、お前はもっとガキでいたほうがいい。わがままに動いたほうがいい。お前の中でくすぶっている感情を吐き出せよ。自分の選択を勝手に狭くしてるのは、ある意味和樹らしいけど、今は選択肢を狭める必要性は無いと思う。それに吐き出さないままにしとくと、いつか自分の中で腐って過去に捕まったまま生きることになるぞ」
 誠治は一旦口を動かすのをやめ、テーブルに置いてあったタバコの箱を手に取ってから、思い直したかのように、すぐに元の場所に戻した。
「あとな、これだけは言っておくけど、がむしゃらさになってる和樹の方が生き生きしてるぞ。だからな、友人として無責任なことを言っておく。もっと自由になれよ、和樹」
 どんぶりの中の氷は半分以上が溶け出して、嵩が増している。静かになってしまった部屋で、誠治が身に付けていたアナログ時計の針の音が静かに響き続けた。こんな時でも、確かに時間は進んでいる。
 自分の中にある押し込んだ感情の成れの果てについて推測を始めた。
「それでな、和樹。一つ提案があるんだけど?」
 立ち上がり、冷蔵庫へと向かう誠治の顔は、憎たらしいほど笑顔だった。